p.1-13  L:避難→いじめ問題への飛躍 ↑前のページへもどる

 「それにも関わらず、」という表現で「避難を余儀なくされた」ことに続けて、児童生徒が「いわれのないいじめを受けるといった問題」へとこの副読本は話を飛躍させています。原発事故に遭って身ぐるみ剥がされた思いを抱いて、大変な状況で避難したのに、「それにも関わらず」同情されるどころかいじめにあった、という意味で使っているのでしょうか? あまりに論旨が飛躍していて、よく意味がわかりません。

 残念ながら避難先で子どもたちがいじめにあったことは確かです。私たち(このHPの著者です。)の住む横浜でもいじめがあり、それを教員が見逃していたということでニュースになりました。そして、いじめの原因に放射線・放射能への誤解があったことも事実です。ですが、それはいじめの原因の一部です。というより、放射能・放射線への"誤解"は、いじめるための口実になってはいなかったでしょうか? さらに放射能・放射線への誤解よりも、避難をめぐる補償問題に関わる誤解、ないしはやっかみがいじめの原因になっていることも報道されました。

 学校現場でも、どこの社会でもいじめは起こっています。とりわけ学校の中でのいじめがよく話題になりますが、いじめはどうして起こるのか? 一般的なことをいっても仕方がないので、ここではたとえ子どもたちが、放射能・放射線の正しい知識を持ったとしても、そのことだけでは福島から避難してきた子どもたちへのいじめはなくならないのではないかということです。自分たちとは異なるもの、新しく仲間になったものの不慣れな環境で自信を持てずおどおどした態度で過ごしているもの、こうしたこどもが学校社会の中ではいじめの対象になりやすいのではないでしょうか。そして、放射能・放射線の問題は、いじめるための格好の口実になるのです。放射能・放射線に対する誤解はない方が良いのはもちろんですが、それだけでいじめがなくなりはしないでしょう。

 それどころか文科省・環境省・福島県など当局が放射線安全キャンペーンを展開している中では、危険でもないところから避難してきていて、おまけに賠償金までもらっているという避難者に対する本当の誤解が、いじめを助長していることも考えられます。

 この放射線副読本は、いじめをなくすために放射能・放射線への正しい知識を持つ必要があると主張しているのですが、いじめをなくすためにはもっと根本的な問題があるように思います。


        
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