p.1-18  Q:科学的な理解を深めるための一助となる ↑前のページへもどる

 ここでいう科学的な理解を深めることは何のために必要なのか、もう一度確認しておく必要があります。このコメントEのところで指摘したように、放射線の理解を深めるのは、私たち一人一人が放射線と向き合って、放射線の有用性を理解し、放射線を怖がらず積極的に利用していくために理解を深めるのだと書いてありました。しかし、途中から意図が変わり、いじめを防ぐために放射線を理解し、誤解を防ぐ必要があるとコメントL番あたりで書かれています。そしてここでは、福島原発事故に一人一人が向き合い事故を他人事としないで真摯に向き合うために、放射線のことを科学的に理解する、そんな文脈になっていま。よくわからない文章です。

 こんな文章を作文で書いたら、さぞかし先生を悩ませるでしょう。どう添削していいか途方に暮れます。

 それはともかく、ここの部分に即して解釈を進めるならば、まず何よりも福島原発事故の被害の深刻さ・膨大さを理解し、その根本原因となっている原子力発電所の事故とそれによって放出された放射性物質による被害の深刻さ、人体や自然に対する長期的影響についてしっかりと理解していく必要があります。それ抜きでは「事故を他人事とせず、真摯に向き合い、災害を乗り越えて次代の社会を作り上げるためにはどうするべきか考える」ことはできません。ところが、この副読本を読み進めばおわかりの通り、事故由来の放射線の被害はたいした問題ではなく、最も深刻な被害はなによりも風評被害である、という主張が展開されています。

 福島原発事故がなぜ起こったのか、その原因と責任の究明なしには、事故の全体像を語ることはできませんし、二度と事故を起こさないための対応策も、次代の社会のビジョンもたてることはできません。そこでは、当然、原子力開発を推進して監督・管理してきたという政府の責任問題も問われてくることでしょう。
 事故を単なる自然災害として済ますことでは、それを乗り越える正しい発想は生まれてきません。人災として福島原発事故をとらえてこそ、それを乗り越える発想が初めて生まれてきます。
 原発事故特有の放射線による健康被害や自然への影響もきちんと評価しなければ、対応策も考えることはできません。
 そして、原子力開発を進めてきた当事者としての文科省・経産省・政府・財界による真摯な反省が、国民の真摯な態度を引き出します。それらの反省をぬきにしてこどもたちや国民に真摯な対応を呼びかけても、空虚なことばにしかなりません。


        
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