原発現地B

1:原発ってどこにあるの?

■六ヶ所村■
2:核燃サイクル基地とは?
3:開発計画と村人のたたかい?
4:核燃計画と反対闘争
5:六ヶ所村のこれから


■上関原発■
6:上関原発ってどこにあるの?
 そこにどうして原発計画が?

7:問題点1、祝島の場合
8:問題点2、自然保護の立場から
 問題点3、地震と防災、そして軍事基地

9:問題点4、用地と漁業権の問題

   六ケ所村 その2


<開発計画と村人のたたかい>

Q そんなものが、なぜ六か所にできたの?

A まず、年表を見ると、「1969年5月“新全国総合開発計画”閣議かくぎ決定」とあるわね。「閣議」だから内閣だけで決められたことがわかるわね。これから、それがどのように進んでいくか調べていくけど、住民の意見は生かされているかどうか、よく考えてみましょうね。
 その頃、日本は各地の「公害」が問題になっていて、企業は新しい土地を探すのが大変だったのよ。そこで国や財閥ざいばつ(大企業家のグループ)は、今までの都市から遠い所に目を向けたの。そのひとつが「むつ小川原湖おがわらこ」。ここに、巨大臨海りんかいコンビナートを作ろうという計画を立てたのよ。ヘリコプターで上空から見たりして、ほしい土地を見つけたってわけ。


Q え?それって住民の意見は聞かないで、一方的に決めたの?

A そうなの、鷲わしが空から獲物えもの を見つけた時のようにね。

Q それで、村人たちはどうしたの?

A 初めのうちは開発に賛成する人はいなかったわ。「やっと肥こ やした土地を開発に取られるなんて」という思いだったのよ。県が開発を発表すると、村長に選ばれた寺下力三郎てらしたりきさぶろう氏は開発反対をとなえ、あちこちに「開発反対」「立ち退き反対」の組織ができて、「むつ小川原開発反対同盟どうめいが結成されたのよ。青年部や老人クラブ、婦人会などもがんばっていてね。



Q それなのに負けてしまったんだね、何故だろう?

A うん、いくつか考えられるわね。まとめてみましょう。

●第一に、国や県が、開発に夢を持たせるような宣伝をして、借金や出稼ぎでかせぎ、それにこのころ始まった減反げんたん政策(米の生産を調整して、耕作を休ませる制度)などで迷っていた農民を結果的にだましたこと。

●第二に、国家的事業だからと抵抗ていこう をあきらめさせたり、「ブル(ブルドーザー)で押す」「用水を止める」などとおどしたりしたこと。

●第三に、買収の方法。県の職員が先頭になって農家をおとずれ、ブローカー(仲買人なかがいにん)は、札束さつたば でほっぺたを引っぱたくようなやりかたで売るようにせまったそうよ。


Q ひどいね。それで、現金を手に入れた人たちは幸せになれたの?

A 中には、代わりの土地を手に入れて、じょうずに生活を変えられた人もいたけれど、ほとんどの人は、家を新築しんちく してしまうと耕す土地も買えず、仕事もなくて、また、出稼ぎに行かざるをえなかったみたいね。
 年表を見ると、引っ越し先で「妻が夫を刺殺しさつ」なんていう事件も起こったようね。「開発さえなければ・・・」という言葉に、住みなれた家も村も失い、心を引きさかれた人々の気持ちがよく表わされていると思うわ。

次に小学生の作文をひとつ紹介しましょう。

 この鷹架たかほこに開発が来た。ぼくの家でも、来年あたり千歳ちとせの家へ移ることになっている。「どうして、そんなのがくるのかな」と、四年生のころから思っていた。ぼくは、鷹架をはなれたくない。

  この鷹架には、高山植物がある。鷹架沼から蜆貝しじみがいがとれ、おつけにもする。太平洋は美しい。波あそびは面白い。

 千歳にいってみたが、沼はない。海はない。面白くもない。

 ぼくは、一生鷹架でくらしたい。開発が来ると決まったのでしかたがない。でものこりたい。さようなら鷹架。

           (六年 佐藤春光、 閉村記念誌「鷹架」より)

     ――鎌田慧 著かまたさとし ちょ「六ヶ所村の記録」より引用――



   
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