教員用p.26-b 放射線のリスクとベネフィット
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 事故後によくリスクの比較の問題が取り上げられました。たとえば自動車事故に遭うリスクと比べて、放射線でがんになり死ぬリスクは、それほど大きくないのに、何故自動車は良くて、放射能は悪いのか、というような比較です。
 そもそも、比較する必然性のないものを、リスク評価という同じ物差しで 測るような視点は、あまりに功利的すぎて、作為的な印象がぬぐえません。

 ある事柄のリスクは自分の問題として考えるとよくわかります。
 その際次の3つの観点を考える必要があります。
@:そのものごとを選択したり、拒絶したり、自分の責任でコントロールすることが出来るかどうか。
A:それを選ぶことによってなにかメリットがあるかどうか。
 例えば、骨折したときにX線検査によって治療の方針が見つかるときはそれなりのメリットがありますが、症状もなく健康なのにX線撮影をして被ばくする人はいないでしょう。
  でも、日本の学校では、結核予防のためとして、X線の間接撮影を全員が受けなければなりません。
  世界中のどの国でもやってないことです。(直接撮影ならまだ被ばくは少ないはずですが・・・・・)。

B:そのものごとに置き換えられるもの(代替手段)はないかどうか。

 福島原発事故でまき散らされた放射能によって私たちは被ばくしていますが、そのリスクはこれら3つの観点から考えたときに、そのリスクを引き受けなければならないような事情があるでしょうか。 

 副読本25ページには放射線利用時の方針として3つの方針が挙げられていますが、どれも今回の事故に関してはとんちんかんな方針です。そもそも、今回の被ばくは「有用である放射線の計画的な利用」に伴って発生したものではありません。

1.【正当化】:福島原発事故でまき散らされた放射性物質による放射線被ばくには、「正当化」できるような利益ベネフィットはまったく見当たりません。

2.【最適化】:あらかじめ指摘されていた安全措置を考慮せず、原子力開発を推進してきた政府・電力会社は、事故の経済的社会的責任を全面的に負うべきです。その責任を自覚したら、被害に遭った人々に対して、被ばくを「達成できるかぎり低く保つ」責任もまた、政府・電力会社が全面的に負うべきというのが、通常の理屈ではないでしょうか。費用がかかりすぎるとか、社会的な影響が大きすぎるとかいうことは、事故の責任者の側から言い出すことではないはずです。

3.【線量限度】:今回の福島第一原発の事故による被ばくは「計画的な被ばく」とはとてもいえず、不条理な被ばくを住民に強いています。そして、その被ばく量も、一般人の「年間1 ミリシーベルト」という「勧告した限度」を多くの人が超えています。

 こうした記述からは、この副読本の制作者が、福島原発事故ことをまったく考慮していないといわざるをえません。それよりも、なんとか「放射線は有用なもので、その利用を社会的に受容してもらいたい」という意図のみが感じられます。
 こうした副読本が、現在の状況で必要なのでしょうか?
 

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