教師用p.4 原子と原子核 ↑前のページへもどる

 この部分の記述全体が、福島原発事故などまるで無かったかのように、平常時の理科の教科書のような記述になっています。事故により広範な地域に放射性物質が拡散し、そこいら中に放射性物質が観察される状況に一言も言及せずに、実験室の中で「放射線を発生させる装置」についての記述が掲載されています。現実に拡散された放射性物質がどのようなもので、どんなところに存在するか、そうした知識こそが今は求められているはずです。このような部分にこの副読本の問題意識が問われています。


教師用p.6 自然放射線 ↑前のページへもどる

  色々な場所における自然放射線レベルの違いグラフなど、 ここに記載されているグラフなどは、福島原発事故以前の数値を使って います。
  現在は福島原発事故により、関東地方以北・東北地方にかけて、広範囲に放射性物質が拡散し、放射線のバックグランド値が軒並み上昇しています。事故によるこのようなバックグランドの上昇を記述しておかないと、実際に環境の放射線測定を行った場合に、驚くような数値が出て、問題になると思われます。


教師用p.7 指導上の留意点 ↑前のページへもどる

  今高校生たちに求められているのは、放射線の利用に関する知識ではなく、原発事故によってまき散らされてしまった放射性物質からどのように身を守るかということのはずです。この「非常事態」に際して国民の税金を使って出版されるものであるからには、そのような「健康と安全」に配慮した知識を獲得することを目的とすべきではないでしょうか。
  しかし、この部分の記述は、単に教科書的な、あるいはもっと直接的な言い方をすれば、受験勉強に役立つような知識の獲得を「指導上の留意点」としてあげています。目的が現実とかけ離れています。


教師用p.8 放射線の性質 ↑前のページへもどる

 放射線の電離作用や励起作用・蛍光作用・透過作用を取り上げるのなら、その電離作用が生命に有害な影響をもたらすこと、すなわちDNAの遺伝情報を破壊する作用があることに触れるべきではないでしょうか。

■放射線が生物に与える影響
 放射線が持つエネルギーは、DNAを結合させている化学的エネルギーをはるかに上回りますから、簡単にDNAの鎖を寸断します。自己修復機能によって修復されるDNAもありますが、DNAの二本鎖切断が起こると、修復ミスが生じやすくなります。
 DNAが切断された細胞は、分裂・再生できず死滅してしまうことがありますが、修復ミス=変異を残したまま生き延びた細胞は、次の世代へその変異は受け継がれていくと考えられています。こうした変異がいくつも重なったり、DNAの特定部分が変異したりすると、細胞は将来ガン化していくと考えられています。
 こうしたDNAの変異は、すべて同じように起こるとは限りません。変異は確率的に生じますから、低線量の被ばくでも影響は確率的に生じることになります。  《確率的影響》


教師用p.10 放射線の単位 ↑前のページへもどる

  放射線に係わる単位として、ベクレルやシーベルト・グレイといった単位が教科書的に解説されていますが、福島原発事故によって広範囲な汚染がもたらされてしまった現在、現実の汚染値や基準などについて具体的な数値を出して解説した方が、わかりやすいと思われます。

  例えば、1986年のチェルノブイリ原発事故の際には、輸入食品の放射線の基準値は370ベクレル/kgで、それを上回る食品は生産国へ送り返されていました。
  それに対して、2012年3月までの国内食品一般の基準は500Bq/kgでした。同年4月からの新基準値は、水が10Bq/kg、一般食品は100Bq/kgとなりました。
  また、日本の放射線管理区域の基準値は0.6μSv/hで、これを上回る線量の場所には、一般人の立入が禁止されていました。一般人の基準値は0.1μSv/h以下です。
  ところが現在、福島県福島市・郡山市・二本松市などをはじめ、いわゆるホットスポットといわるところでは、0.2〜0.3μSv/hの線量の場所があちこちに存在しています・・・・・
       ・・・というように具体的な記述が求められているはずです。


教師用p.10 ■ 放射能と半減期 ↑前のページへもどる

  ここで記述されている「生物学的半減期」に関しては、誤解が生じやす い。福島原発事故後の現在では、環境中にセシウム1 3 7 ( 一定期間内で はヨウ素1 3 1 ) などの放射性物質が大量に存在し、それら放射性物質は 環境中に生活する人体に連続的に内部被ばくを引き起こしています。従っ て、実験室的にたった一度だけ放射性物質の内部被爆にさらされた場合 であれば、記述された「生物学的半減期」で人体に取り込まれた放射性物 質の放射線量は半減することになりますが、連続的に内部被ばくしている状 況では、むしろ放射線量は蓄積していくことになります。そうした指摘は不可 欠です。



教師用p.10 ■ 放射性物質の分布 ↑前のページへもどる

「セシウム137は全身の筋肉に分布」と書かれてるが、 セシウムは、筋肉だけでなく全身のさまざまな器官に蓄積することが指 摘されている。


Y. I. Bandazbervsky: Swiss Med. Wkly., 1 33, 488 ( 2003 )
それを引用した、崎山比早子 岩波科学Jul. 2011 Vol.81 No.7



教師用p.11 指導上の留意点 DNAの損傷 ↑前のページへもどる

 いま、この副読本は放射線の影響について述べるべきで、他の「色々な要因」によってDNAが損傷することを、ここで学ぶ必要はないのではないでしょうか。DNAの放射線による損傷を相対化させることによって、その影響を小さく見せようとする作為が感じられます。
 放射線によってDNAは損傷を受けます。しかし、この副読本のどこを見てもDNAの損傷や修復のメカニズムについては記載されていません。それなのに、学習のポイントや指導上の留意点には、「損傷」「修復」を理解するようにと書かれています。高校生ならば、DNAの二重鎖などの構造を学んでいますから、そのDNA構造が放射線によって損傷を受ける説明を加えた方が、理解が進むはずです。
  こちらをご覧下さい。


教師用p.12 日本の医療被ばくは世界一 ↑前のページへもどる

 日本人の医療被ばくは、世界で一番です。 医療関係者が安易にCTなどにたよる医療行為が問題になっています。 CT検査による被ばく量は、一般人の年間被ばく限度量1ミリシーベルトをはるかに上回り、 1回で5〜8ミリシーベルトの被ばく量です。
 放射線被ばくによるデメリットと、治療に役立てるメリットを よく考えて利用することが望まれているということを、ここでも指摘するべきです。

日本の医療被ばくは、世界でも飛び抜けている。 【緊急被ばく医療研修のHPより】
ここまで、生徒用p.3の注と同じです。

日本での医療被ばくの問題について、2005.2.10. 読売新聞には次のような記事がありました。

日本人のガン、3.2 %は医療被ばく ( 記事の要約)
  英国医療専門誌ランセント報告2005.2.10. 読売新聞

  日本国内でがんにかかる人の3.2% は医療機関により放射線診断 で被ばくが原因のがん発症と推定されることが、国際的研究で明らかに なった。
  英国オックスフォード大学チームが、1 5か国を対象1991−96年調査、 日本の医療診断によるがん発症がもっとも高いと判明。CTの高い普及度が背景。 2004年:国内に7,920台配置。
  日本国内での医療診断によるがん発症は7,587件でがん発症者の3.2%。 (英国では0.6%、米国では0.9%)
  日本の検査数は1 5国平均の2倍近く、がん発症は2.7倍。
  日本:CT検査装置の普及進む。人口100万人当たり64台で最高、 次位のスイスでさえ26台程度。
  検査をすればするほど医師の収入増につながるが、CTの過剰検査 は要注意。超音波など害のない診断への移行が望まれる。


教師用p.12 飲食物の暫定規制値について ↑前のページへもどる

 ここに書かれている内容は、人命よりも経済的効率を重視する、ICRPの基本的発想そのものです。
 「(暫定規制値は)合理的に達成可能な範囲内で適宜、この暫定値は見直される。」という表現は、背後に経済的合理性の発想が潜んでいます。すなわち、たっぷりと費用をかければ安全性は高められるが、だからといってむやみやたらに規制を厳しくするのではなく、"合理的に達成可能な範囲で"規制しよう、という考え方です。
  コストとベネフィット、経済と人命とが天秤にかけられています。
  コストを負担するのは、原子力事業者でしょうか、それとも、社会一般の消費者でしょうか。ベネフィットを得るのは、原子力事業者でしょうか、それとも、一般の人々でしょうか。 高校生達にこの問題を考えてもらったら、安全性を多少犠牲にしても経済的効率を重視しようと考える高校生はどれほどいるでしょうか?
 原子力・放射能をめぐる問題は、私たちにそうした根源的な問題を突きつけます。

  下表は、日本人の一日の食物の平均摂取量をもとに、暫定基準値・新基準値(2012.4.より)・ウクライナの基準値で、各基準値ぎりぎりの食料を食べたときの一日のセシウム摂取量(ベクレル)、およびそれから年間のセシウム摂取量(ミリシーベルト)を計算したものです。
 現実には、すべての食材で基準値めいっぱいの食材を食べることはあり得ませんが、しかし、基準値というのは、そこまでの被ばくは「許される」あるいは「ガマンさせられる」値です。暫定基準値では、年間5mSvもの内部被ばくが許容され、新基準値でも年間約0.8mSvの内部被ばくまでガマンさせられることになっています。ウクライナの基準値は、およそその60%の被ばくになります。まだ日本の基準値は高いのではないでしょうか。
 ちなみに、100Bq/kg という数値は、原子炉等規制法(2005年改訂)で定められた 放射性廃棄物のクリアランスレベルと同等であり、 コンクリートなど建設資材などへの低レベル放射性廃棄物の再利用が認められている値です。再利用可能な放射性廃棄物と同等のレベルで、食品の放射線基準も定められていることになります。




教師用p.13 がんなどの病気の原因 ↑前のページへもどる

  学習のポイント"がんなどの病気は、色々な生活習慣が原因で起こる可能性があることを学ぶ。"とありますが、教師用指導書p.11のコメントと同じで、この放射線副読本で「色々な生活習慣が原因でがんが起こる」ことを学ぶ理由がわかりません。この副読本は放射線の問題を扱っているわけですから、放射線の影響・害について解説すべきで、他の問題に論点をすり替えるのは、問題を隠蔽しているとしか思えません。


教師用p.13 100ミリシーベルト以下の低い放射線量 ↑前のページへもどる

  指導上の留意点「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については、明確な証拠はないことを理解できるようにする。」とありますが、「明確な証拠」はないにしても、全く関係がないことにはなりません。確率的な影響はあるわけですから、予防原則に立てば、できる限り被ばくを少なくするに越したことはないはずです。
  ICRPも次のように述べています。

ICRP2007 勧告(日本語訳)より
  『約100 mSV を下回る低線量域では,がん又は遺伝性影響の発生率は、関係する臓器及び組織の等価線量の増加に正比例して増加すると、仮定するのが科学的にもっともらしい。それは、例外はあるが、線量反応データーと基礎的な細胞過程に関する証拠によるものである。したがって, 委員会が勧告する実用的な放射線防護体系は次の根拠に基づく。約100 mSV を下回る線量においては,ある一定の線量の増加は、それに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を生じるという仮定である。この線量反応モデルは一般に"直線しきい値なし仮説又はLNTモデル"として知られている。
  LNTモデルを採用することは,線量・線量率効果係数( DDREF )について判断された数値と合わせて,放射線防護の実用的な目的,すなわち低線量の放射線被ばくのリスクの管理に対して根拠を提供している。LNT モデルは実用的な放射線防護体系において、引き続き科学的な説得力があるが, このモデルの根拠となっている仮説を明確に実証する生物学的あるいは疫学的知見は、すぐには得られそうもない。
  すなわち、低線量における健康影響が不確実であることから, 委員会は, 公衆の健康を計画する目的には長期間にわたり多数の人々が受けた、ごく小さい線量に関連するがん又は遺伝性疾患について、仮想的な症個数を計算することは、適切ではないと判断する。』
  つまり、低線量被ばくにおいては、被ばく量からそれによる障がいの発生数を予測するには、現時点ではデータ不足ということ。しかしだからといって、障害が発生しないわけではない。


教員用p.15  「しきい値がないと仮定する影響」
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 学習のポイントp.13に「身の回りの放射線による被ばくの例や放射線によってがんになるリスクなどのデータを基に、放射線を受ける量と健康への影響について学ぶ。」という記述があるが、これは要するに「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については、明確な証拠がないことを理解できるようにする。(留意点)」ということを教えることがポイントであるようだ。
 しかし、この記述に関しては文科省の姿勢は矛盾している。文科省が各所でその権威を引き合いに出すICRP(国際放射線防護委員会)の勧告を、この副読本自身がこの同じページで引用している。すなわち「(100mSvまでの被ばくの場合でも)、安全側に立って、ごく低い放射線量でも線量とがんの死亡率との間に比例関係があると考えて防護するように勧告している。」
 つまり、ICRPは「100mSv以下の低い放射線量と病気との関係について、比例関係があると考えて、防護策をとるように。」と勧告しているのである。
 この部分は、どうも文科省は気に入らないようである。 低線量でも比例関係が成り立つという考え方は「しきい値なし直線説(LNT)」と呼ばれるが、文科省や日本の「放射線ムラ」(原子力ムラと同じように、放射線にかかわる利益集団?が存在する。)は、 「しきい値なし直線説」に異を唱えている。しかし、上表に示すようにICRPを含むいくつもの国際的機関が「しきい値なし直線説」を認めている。日本の対応は世界の孤児となりつつある。
 日本では、白血病になった原発労働者が、年5mSv以上、合計40〜50mSvの被ばくで労災と認定された例がある。


教員用p.15  100ミリシーベルト以下の低線量被ばくと病気
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 学習のポイントp.13に「身の回りの放射線による被ばくの例や放射線によってがんになるリスクなどのデータを基に、放射線を受ける量と健康への影響について学ぶ。」という記述があるが、これは要するに「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については、明確な証拠がないことを理解できるようにする。(留意点)」ということを教えることがポイントであるようだ。
 しかし、この記述に関しては文科省の姿勢は矛盾している。文科省が各所でその権威を引き合いに出すICRP(国際放射線防護委員会)の勧告を、この副読本自身がこの同じページで引用している。すなわち「(100mSvまでの被ばくの場合でも)、安全側に立って、ごく低い放射線量でも線量とがんの死亡率との間に比例関係があると考えて防護するように勧告している。」
 つまり、ICRPは「100mSv以下の低い放射線量と病気との関係について、比例関係があると考えて、防護策をとるように。」と勧告しているのである。
 この部分は、どうも文科省は気に入らないようである。 低線量でも比例関係が成り立つという考え方は「しきい値なし直線説(LNT)」と呼ばれるが、文科省や日本の「放射線ムラ」(原子力ムラと同じように、放射線にかかわる利益集団?が存在する。)は、 「しきい値なし直線説」に異を唱えている。しかし、上表に示すようにICRPを含むいくつもの国際的機関が「しきい値なし直線説」を認めている。日本の対応は世界の孤児となりつつある。
 日本では、白血病になった原発労働者が、年5mSv以上、合計40〜50mSvの被ばくで労災と認定された例がある。


教員用 p.15 国際放射線防護委員会ICRPの役割
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 ICRPという組織は「国際的」な組織には違いないが、基本的にはボランティアで運営されているNPOである。そして、日本の原子力研究開発機構を始め、各国の原子力関係団体から多額の寄付を受けて運営されていることも事実である。

WikipediaにはICRPについて次のように書かれている。
 医学分野で放射線の影響に対する懸念の高まりを受けて、1928年にスウェーデンのストックホルムで国際放射線学会(International Society of Radiology; ISR)の主催により開かれた第2回国際放射線医学会議(International Congress of Radiology; ICR)において放射線医学の専門家を中心として「国際X線およびラジウム防護委員会」(International X-ray and Radium Protection Committee; IXRPC)が創設され、X線とラジウムへの過剰暴露の危険性に対して勧告が行われた。
 1950年にロンドンで開かれたICRにて、医学分野以外での使用もよく考慮するために組織を再構築し、現在の名称「International Commission on Radiological Protection; ICRP」に改称された。スウェーデン国立放射線防護研究所の所長であったロルフ・マキシミリアン・シーベルトは1929年にIXRPCの委員に就任し、ICRPに改組後も1958年から1962年まで委員長を務めた。
 IXRPCからICRPに再構築された際に、放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある限度の放射線被曝を正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある*。ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基準が設けられ、1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度が勧告で出され、許容線量でないことは強調されたが、一般人に対する基準が新たに設定されたことに対して、アルベルト・シュバイツァーは、誰が彼らに許容することを許したのか、と憤ったという。
*:市川定夫 『環境学のすすめ : 21世紀を生きぬくために 上』 藤原書店〈Save our planet series〉、1994年、208頁。
(HP編集者注:ここでは、ICRPに組織変換してから原子力関係の専門家が委員に加わるようになり、性格が大きく変わり、原子力産業が成り立つ範囲に線量限度を据え置き、基準運用の原則を後退させ、規制の低減が見送られるようになったと述べられている。)


 また、これまでのICRPによる被ばくリスク評価の中心となるデータは、広島長崎の原子爆弾の初期被ばくデータが中心で、内部被ばくに関するデータが不足しているという批判がある。チェルノブイリ事故の被ばくデータを正しく反映するためとして、欧州放射線リスク委員会ECRRが1997年に設立され、ICRPの基準をきびしく批判している。

 このようなICRPの性格の延長上の問題として、この副読本中学教師用解説のp.28には次のような記述がある。
「ICRPはこの防護措置について過大な費用と人員をかけることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できる限りにおいて行うべきであると述べている。」
 この記述は問題である。人命よりも「経済的・社会的」要因を重視するような記述であり、その背景には、ICRPが人々の健康の問題だけを考えて活動している組織ではなくなってきたという歴史的背景がある。
 前述のWikipediaの記述にもあるとおり、1950年に改組されてICRPが誕生して以来、「放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある程度の放射線被ばくを正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある。」という。事実、1980年代には、ICRPの委員17人のうち13人が各国の原子力行政や原子力産業の委員でしめられていたという。(NHK追跡真相ファイル2012.12.26.放送より)
 有名なALARAの法則(As Low as Reasonably Achiebable)もそうした原子力関係の勢力の影響により、変質していった。(以下再びWikipediaより引用)
 1954年には、被曝低減の原則を「可能な最低限のレベルに」(to the lowest possible level)としていたが、1956年には「実行できるだけ低く」(as low as practicable)、1965年には「容易に達成できるだけ低く」(as low as readily achievable)と後退した表現となり、「経済的および社会的考慮も計算に入れて」という字句も加えられ、1973年には「合理的に達成できるだけ低く」(as low as reasonably Achievable)とさらに後退した表現となった。これらの基準運用の原則は、頭文字を取って、それぞれ、ALAP(1954年、1956年)、ALARA1(1965年)、ALARA2(1973年)と呼ぶ。

 ちなみに、この放射線副読本ではこのALARAの法則については、一言も触れられていない。
教師用p.28-cの注も参照


教員用p.15  低線量率被ばくの影響
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 ここにはICRPの勧告が紹介されている。すなわち
「(ICRPは)一度に100ミリシーベルトまで、あるいは1年間に100ミリシーベルトまでの放射線量を積算として受けた場合(低線量率)には、リスクが原爆の放射線のように急激に受けた場合(高線量率)の場合の2分の1になるとしつつも、安全側に立って、ごく低い低線量でも線量とがんの死亡率との間に比例関係があると考えて防護するように勧告している。」
  これは「線量-線量率効果係数(DDREF)」と呼ばれる問題である。この副読本の他の部分では、100mSv以下の低線量被ばくと病気との関係には「明確な証拠はない」という御用学者の言説をことさらにとりあげるが、重要なのは、明確ではないことではなくて、防護することだ。従って、勧告を文字通り受け取り、予防原則に立って、放射線をできる限り浴びないようにするべきなのだ。

  なお、この引用にある「原爆の放射線」とは、いうまでもなく広島・長崎の原爆による被ばくの分析データである。そして上述の「2分の1になる」の部分について、2011年12月28日にNHKから放送された「追跡真相ファイル低線量被曝・揺らぐ国際基準」という番組で、この数値に明確な科学的根拠はなく、むしろ政治的な決定だということが、ICRP関係者の話として明らかになった。そして、その妥当性を巡って議論があることも紹介された。
 この番組が放送されると、原子力ムラの学者達が騒ぎ始めた。原子力ムラの学者達112名が連名で、番組が関係者の発言を正確に翻訳せず、放射線の危険性をことさら扇動しているなどとして、NHKとこの番組の制作者達に抗議し、BPO放送倫理・番組向上機構に提訴するという騒ぎになった。低線量被ばくの影響について、ICRPが過小評価していた舞台裏があばかれてしまったからだろう。       こちらに抗議文

 単純な比較でも、広島・長崎のデータは原爆による一度きりの、大部分は外部被ばくが中心であるのに対して、チェルノブイリ原発や福島原発事故の場合の被ばくは、内部被曝が問題になることであり、しかも広島・長崎のデータは、内部被ばくの影響が正当に評価されてこなかったとの指摘もある。副読本のように断定的に教えることには問題がある。
                       澤田昭二氏『日本の科学者』2011年6月号
 なお、低線量被ばくにより引き起こされる障害は「がん死」だけではない。チェルノブイリ原発事故で被ばくした人々の間で起こっていることが最近ようやく明らかになりつつある。心臓病や脳血管病・糖尿病・免疫力低下など、いわゆる「加齢」にともなう諸症状が報告されているが、まだ、日本には詳しい分析は普及していない。今後の知見が待たれるところである。
                           根岸富男 岩波『科学』2012.3.より(一部加筆)  


教員用 p.16 集団実効線量について
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 ここにICRPの2007年勧告(Publication103)の引用がある。「特に大集団に対する微量の被ばくがもたらす集団実効線量に基づくガン死亡数を計算するのは合理的ではなく、避けるべきである。」という記述は、この副読本のこの直前の記述とまっこうから矛盾しているが、この副読本の編集者はそのことに気づいていないらしい。
 すなわち、この前の段落の枠囲みの中で、「仮に蓄積で100mSvを1000人が受けたとするとおよそ5人がガンでなくなる可能性があると推定している。 日本では約30%の人がガンでなくなっているので、この推定を用いると1000人が数年間に100mSvを受けたとすると、ガンによる死亡がおよそ300人から305人に増える可能性があると推定される。」という部分について、このような計算の仕方は避けるべきと言うというのが2007年勧告の主旨である。

 なぜ、このようなちぐはぐな記述がここに見られるのか。ICRPのこの前の大きな勧告は1990年に出されたPublication60である。これを受けて日本の国内制度が整備されてきていたが、2007年勧告については、福島原発事故直前の2011年1月に放射線審議会基本部会が 第2次中間報告を出し、国内制度改定の方向性をようやく示したところである。

 従って、日本の諸制度はまだ、2007年勧告をきちんと消化していない。ましてや、この副読本の編集者である中村尚司東北大名誉教授らは、LNT仮説についてなど、ICRPとも見解を異にする。そういう中で福島原発事故が起き、旧態依然の発想のままこの副読本が制作されたのではないかと私たちは推察する。

 ICRP2007勧告(日本語訳)には、次のように述べられている。
『約100 mSVを下回る低線量域では,がん又は遺伝性影響の発生率は、関係する臓器及び組織の等価線量の増加に正比例して増加すると、仮定するのが科学的にもっともらしい。それは、例外はあるが、線量反応データーと基礎的な細胞過程に関する証拠によるものである。したがって,委員会が勧告する実用的な放射線防護体系は次の根拠に基づく。約100 mSVを下回る線量においては,ある一定の線量の増加は、それに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を生じるという仮定である。この線量反応モデルは一般に“直線しきい値なし仮説又はLNTモデルとして知られている。LNTモデルを採用することは,線量・線量率効果係数(DDREF)について判断された数値と合わせて,放射線防護の実用的な目的,すなわち低線量の放射線被ばくのリスクの管理に対して根拠を提供している。LNTモデルは実用的な放射線防護体系において、引き続き科学的な説得力があるが,このモデルの根拠となっている仮説を明確に実証する生物学的あるいは疫学的知見は、すぐには得られそうもない。すなわち、低線量における健康影響が不確実であることから,委員会は,公衆の健康を計画する目的には長期間にわたり多数の人々が受けた、ごく小さい線量に関連するがん又は遺伝性疾患について、仮想的な症個数を計算することは、適切ではないと判断する。』

 つまり、低線量被ばくにおいては、被ばく量からそれによる障がいの発生数を予測するには、現時点ではデータ不足ということ。しかしだからといって、障害が発生しないわけではない。




教員用p.16 ガンのいろいろな発生原因 ↑前のページへもどる

  がんの諸原因について、放射線もそれら諸原因の一つに過ぎない、と いうような、放射線をことさらに特別視しないで大丈夫という扱い方に違和 感をおぼえます。事故後によく見られた、さまざまなリスクの中で、たとえ ば自動車事故に遭うリスクと比べて、放射線でがんになり死ぬリスクは、 それほど大きくないのに、何故自動車は良くて、放射能は悪いのか、とい うような比較です。そもそも、比較する必然性のないものを、リスク評価と いう同じ物差しで測るような視点は、あまりに功利的すぎて、作為的な印 象がぬぐえません。
  「ウィルス」や「大気汚染」ならともかくも、「喫煙や食事・食習慣」は、い うなれば自己責任の問題です。強制的に有無をいわさず、放射線に被ば くさせられている人たちから見れば、問題をすり替えられているようにも受 け取られることでしょう。「喫煙」について同じように「出来るだけ少なくす ることが大切です」とか、よい「食事・食習慣」をするように心がけましょう、 などと述べることがこの副教材の目的とは思えません。放射線の危険性 について学習することが目的のハズですから、放射線の危険性を相対化 するような作為は、避けるべきだと思います。 生徒用p.14と同じ



教員用p.17〜  放射線の利用
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「放射線の利用」については、とても内容が充実している。教師用解説書でも本文全体が2 6ページに対して、4ページも割いている。いま、高校生に必要なことはこのような「放射線の利用」についての理解を深めることだろうか。福島原発で大勢の人々が被ばくし、高レベルの放射線汚染により、今後数十年間故郷に戻ることが出来ないような状況が発生してしてしまったのが現在の状況である。このような放射線の有用性を説くのは、原子力研究・開発を目指す高校生が一人でも残るように、原子力産業の最後のあがきのようにも見て取ることが出来る。

  日本で原子力開発が始められた頃、広島・長崎の原爆投下により、核・原子力開発に関して日本人が持っていたマイナスのイメージを払拭すべく、初代科学技術庁(当時)長官に就任した正力松太郎が、長官職でありながら私企業の経営者をかねて、その率いる読売グループを中心に、原子力技術のバラ色のイメージを普及するために、日本のマスコミ界が『原子力の平和利用"Atoms for Peace"』の一大キャンペーンを展開したという。当時の情景に、現在のこの文科省の活動が重なって見える。
  ちなみに、政界で原子力開発の旗振りをし、日本で初めての原子力予算を提案したのは中曽根康弘である。
 その科学技術庁というのは、そもそも原子力開発を担うための創設された組織であり、その技術 の中核は、今日の高速増殖炉「もんじゅ」に引き継がれている核燃料サイクルである。現在の文部科学省はその科学技術庁と文部省が統合(2001年)されて出来ている。であるからこそ、この放射線副読本でも、 放射線の効用をうたう内容がこれだけの分量を占めているわけである。 しかし、今回の福島原発事故を契機に、これまでの原子力開発そのものを見直す時期に来ている。そのことを文科省は理解していないし、しようともしていないように思われる。

  ただし、今後も原子力・核関連の技術は必要である。だが、それは、これだけの被ばくがもたらされたことの後始末や、また各地の原子力発電所やその関連施設の後始末と、おそらく、十数万年は管理し続けなければならない核廃棄物の安全で確実な管理のためであろう。そうした方向性をきちんと持つべきである。


教員用 p.18 医療分野 <診断:CT検査 / PET検査>
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 ここでは医療被ばくによる弊害が語られていません。これらの放射線による医療行為は、被ばくのデメリットよりも、それを上回る治療効果というメリットに対して納得した場合にのみ、行われるべきでしょう。
  日本の医療被ばくは世界一であり、医療被ばくによるがんの発生も、世界平均を大きく上回っているという報告があります。

                        教師用 p.12のコメント参照

 「核医学の検査では、微量の放射線を出す化合物を体内に投与して、体内から出て来る放射線を捉えて診断する方法もある。この場合は、半減期の短い放射性物質を工業的に作って病院に供給している。」

 この検査方法は PET検査:Positron Emission Tomographyという。
グルコース(ブドウ糖)の分子の一部に放射性アイソトープを組み込んだトレーサーと呼ばれる物質を点滴で体内に注入し、がん細胞が活発にそれらブドウ糖を集める性質を利用して、ガンマ線検出器でその場所を特定する。ガンの早期発見に有効とされている。現在、国内では数10カ所の病院などで、この検査を受けることが出来、一部健康保険も適用されることになったため検査機関は増えている。
 しかし、放射性アイソトープを供給するために、1台数億円はするサイクロトロンが必要である上、検査機器も高額で、受診料負担は10数万円にのぼる。集客のために夫婦割引や、旅行パックやゴルフパックに組み込んだりするサービスや、中国など近隣諸国の富裕層を狙った日本ツアーに組み込まれたパックも発売されているという、問題の多い高額医療である。
 放射線被ばく量は大きく、PETとCTを一体化したPET/CT装置を用いた検査が標準的だが、1回の検査における放射線被曝は23〜26 mSvにのぼり、低レベル放射性廃棄物もだされる。
 リスクとベネフィット、さらにはコストとベネフィットをしっかり吟味して考えた方がよい。
                       (生徒用p.15と同じ)


教員用 p.18 医療分野 <放射線の利用>
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  ここでは医療被ばくによる弊害が語られていません。これらの放射線による医療行為は、被ばくのデメリットよりも、それを上回る治療効果というメリットに対して納得した場合にのみ、行われるべきでしょう。
  日本の医療被ばくは世界一であり、医療被ばくによるがんの発生も、世界平均を大きく上回っているという報告があります。

                        教師用 p.12のコメント参照


教員用 p.18 放射線の利用 農業分野
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  この分野の記述は、遺伝子組み換え技術と同じで、生命のDNAを放射 線により損傷させることで、応用されている技術だ。例えば、照射ジャガイモとして知られている「ジャガイモ の発芽抑制」というのは、放射線によってジャガイモの成長細胞のDNAを破壊し、新芽の細胞分裂が起こらないようにしたものである。つまり、成長細胞を殺してしまうことだ。そのような食品を摂取することについて、懸念がもたれている。


教員用 p.21 指導上の留意点
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「事故後しばらくたつと、放射性物質が地面に落下することから、それまでの対策を 取らなくてもよくなることを理解できるようにする」

  この留意点は問題である。放射性物質は地面に落下したとしても、無くなったわけではなく、「地面」にあるわけであるから、「それまでの対策をとらなくてもよくなる」とは思えない。土壌に混じっているのであれば、土埃などと一緒に舞い上がることも考えられることから、防護服を着たり、マスクをつけたりする対策は、依然として続けるべきであろう。
  また、身長の低いこどもは大人よりも地面に近く、地面からの放射線・放射性物質の影響を受けやすい。「対策をとらなくてもよくなる」というのは、大人目線的な考え方である。


教員用 p.21 放射線管理区域の設定
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福島原発事故以前からある放射線管理区域の設定基準は、下表の通 りであり、ここには具体的な記述が見られない。福島原発から放出された 放射性物質により、関東以北の至る処でこの基準を上回る汚染が発見さ れている。もはやこの基準は、基準としての意味をなさない。とりわけ、ホ ットスポット・マイクロスポットと呼ばれているところでは、これらを遙かに 上回る線量が観測されている。この部分の記述は、きわめて脳天気であ り、もしこれを適用するならば、皆が法律違反をしていることになってしま う。


教員用 p.22 放射線防護の基準値
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  放射線防護の基準値を年間20 〜 100 ミリシーベルトとしている。
  ここには、年齢差が考慮されていない。いかに緊急時といえども、放射線への感受性の強い、妊婦・胎児・乳幼児・幼児など、成長活動の活発な年齢のこども達への被ばくは、年20 ミリシーベルトでは大きすぎる。現に、原発事故の被災地では、こども達を被ばくから救うために、年1ミリシーベルトに出来る限り近づけるように、あとで文科省自身も基準を改定したのだから、こちらの基準を強調すべきではないだろうか。


教員用 p.22 ICRP コスト・ベネフィット
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 「しかし、ICRPは、この防護措置について過大な費用と人員を掛けることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できる限りにおいて行うべきであると述べている。」

  この部分は、ICRPにせよ、文科省にせよ、かなり問題な発言である。防護措置の手抜きの弁明のような内容である。基本的に人命第一ではなく、過大な費用人員をかけずに経済性社会性とのバランスで防護すればよいという主張であり、これは原子力を推進している人たちの本音なのだろう。大地震や大津波が想定されていたとしても、費用を惜しんで、あるいは、対策をとると危険なことがばれてしまうからといって、原発の安全強化策をとらなかったことの教訓は、まだ生かされていない。教育の場で、このようなことを子どもたちに教えるのは難しい。
  今目の前で、危険にさらされている人命があるとしたら、経済原理優先だから、救助にはお金がかかりすぎるので、救助はあきらめてください、と言明する人がいるだろうか? 放射線の影響は、晩発的影響でもあるだけに、すぐ目の前にある危険ではないところが、問題を見えにくくしている。


教員用 p.22c 放射線の規制値
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 「(この1mSv/年という線量限度について)これらの限度を超えれば、健康影響が現れるというような安全と危険の境界を示すものでは無い。」 この記述は、事故後に政府当局者によって発せられた「直ちに影響はない」という言明に似ている。いわば放射線特有の事象であり、化学的な毒物とは異なり、低線量放射線被ばくによる確率的影響というのは、概して晩発的影響であるので、他の要因と明確に区別がつきにくいという特徴がある。
 またこの記述は、今回の福島原発事故でこの線量限度を超える被ばくが各地で起こってしまったために、人々の不安を鎮めるための言い方である。そもそも基準値はそれなりの根拠があって定めたはずで、その基準を守ることで一定の安全が担保されるもののはずである。それを現実が先行したために、実はその基準はたいしたことは無いなどと、その場しのぎの言い訳をしているようだ。

 「・・・・計画的な防護が出来ない状況であるので上述の年間1mSvという線量限度は適用されず、緊急事態期や事故収束後の復旧期の参考レベルという制限値を用いて防護する。・・・」 
 非常に居丈高な物言いで、現実に被ばくした人々の気持ちを逆なでる記述である。極めて機械的な記述で、このような事態を招いてしまったことへの問題意識を読み取ることが出来ない。それは、次の末尾の記述につながる、この副読本の編集者たちの立ち位置を表している。すなわち・・・
 「しかし、ICRPは、この防護措置について過大な費用と人員を掛けることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できるかぎりにおいて行うべきであると述べている。」
 この記述は、ICRPとこの本の編集者および文科省のコストベネフィット論的体質を物語っている。
ICRPのお墨付きに甘えて、被ばくの危険性に直面している国民を見ていない書き方である。放射線防護に関して、出来る限りの努力をすると表明するのではなく、「過大な費用と人員を掛けることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できる限りにおいて行うべき」というのは、人命軽視、人命尊重よりも経済原理優先、の功利的発想に他ならない。これをこども達に教えろと言うのであろうか?

 今目の前で、危険にさらされている人命があるとしたら、経済原理優先だから、救助にはお金がかかりすぎるので、救助はあきらめてください、と言明する人がいるだろうか? 放射線の影響は、晩発的影響でもあるだけに、すぐ目の前にある危険ではないところが、問題を見えにくくしている。

 この項目でこどもたちに教えるべきと思われるのは、放射線防護に関する ALARAの法則(As low as reasonably Achivable). であろう。しかし、この法則を、この記述のように解釈するのは防護を第一の基本とする観点からは異論が出るだろう。法則を直訳すれば、「合理的に達成可能な限り、できるだけ低く抑える」という意味であるのに対して、この記述は「達成可能な限り」を「合理的な範囲内」に限定するような意味に解釈しようとしている。「達成可能な範囲」が例えば経済情勢によって「適宜」「合理的」に変動するかのような恣意的な解釈は、人命軽視とも受け取られるので、これがいわゆる「放射線ムラ」の本音かもしれないが、少なくとも教育の場面では慎むべきである。
教師用p.21-aの注も参照

 線量限度という考え方があるが、原子力産業によるWeb事典"ATOMICA"には右のように記述されている。つまり、線量限度はガマン値であり、それを超える線量は受け入れ不能であるとされている。
 日本の現状は受け入れ不能である。


教員用 p.23 指導上の留意点    身近な放射線や
    放射性物質の存在を理解できるようにする
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  福島原発事故の被害に遭って、東日本の広い範囲が放射性物質によって汚染され、その放射線の被害をいかに取り除くかが課題となっている今日、「放射線や放射性物質の存在」が「身近」であり、そのようなものとして生徒に理解させることは、はたして現状の社会的なニーズにかなっているだろうか。
  この部分は、まるで福島原発事故など無かったかのような記述である。あれだけの事故が起こった現在、文科省はなにを教訓としたのだろうか。その真摯な反省が感じられない内容である。
  現在、教育現場が取り組むべきは、子どもたちの放射線被害をどうやったら軽減できるか、そのことを考え教えるべきだろう。 


教員用 p.24    ■簡易放射線測定器の活用
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  今、東日本の学校で、子どもたちが校内の放射線レベルを測定したら、雨水升や排水溝などで驚くような数値が出ることがあるだろう。そのような具体的な比較的高レベルが想定される場所についての知識を、あらかじめ指摘することは必須だろう。子どもたちには、そのような場所での泥やチリなどの汚染物質の取り扱いについて、注意を受けておく必要がある。
  福島原発事故後の今日、放射性物質はきわめて身近な存在になっており、その影響を取り去る方法について、まず考えるべきだろうと思われる。



教員用 p.26    線量限度
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p.26 線量限度 I C R P の勧告( 1990 年) した「医療上の放射線被ばく」「計画的な被ば く」の線量限度は、一般公衆の場合、年間1 ミリシーベルトであることを明 記すべき。 原子力開発推進側に立つと言われているI C R P の公表した数値でも、 年間1 ミリシーベルトであるのだから、現在の日本の状況がこれを遥かに 逸脱している状況をきちんと認識する必要がある。 線量限度という考え方は、ATOMICAにも下のように記述されている。つまり、線量限度はガマン値であり、それを超える線量は受け入れ不能であるとされている。 日本の現状は受け入れ不能である。



教員用p.26-b 放射線のリスクとベネフィット
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 がんの諸原因について、放射線もそれら諸原因の一つに過ぎない、 というような、放射線をことさらに特別視しないで大丈夫という扱い方に 違和感をおぼえます。
 事故後によく見られた、さまざまなリスクの中で、たとえば 自動車事故に遭うリスクと比べて、放射線でがんになり死ぬリスクは、 それほど大きくないのに、何故自動車は良くて、放射能は悪いのか、 というような比較です。
 そもそも、比較する必然性のないものを、リスク評価という同じ物差しで 測るような視点は、あまりに功利的すぎて、作為的な印象がぬぐえません。

 ある事柄のリスクは自分の問題として考えるとよくわかります。
 その際次の3つの観点を考える必要があります。
@:そのものごとを選択したり、拒絶したり、自分の責任でコントロールすることが出来るかどうか。
A:それを選ぶことによってなにかメリットがあるかどうか。
 例えば、骨折したときにX線検査によって治療の方針が見つかるときはそれなりのメリットがありますが、症状もなく健康なのにX線撮影をして被ばくする人はいないでしょう。
  でも、日本の学校では、結核予防のためとして、X線の間接撮影を全員が受けなければなりません。
  世界中のどの国でもやってないことです。(直接撮影ならまだ被ばくは少ないはずですが・・・・・)。

B:そのものごとに置き換えられるもの(代替手段)はないかどうか。

 福島原発事故でまき散らされた放射能によって私たちは被ばくしていますが、そのリスクはこれら3つの観点から考えたときに、そのリスクを引き受けなければならないような事情があるでしょうか。 
 



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