教員用p.16 放射線発見の歴史 | ↑前のページへもどる |
レントゲン博士の実験で使われていたのは、右写真のようなクルックス管と呼ばれる放電管です。学校の理科室などでもこの実験装置を見かけることがありますが、レントゲン博士が実験で確かめたように、そこからは放射線の一種X線(ガンマ線)が出ているので注意が必要です。 レントゲン博士は、最初の発見から7日間研究室にこもってX線に関する論文を書き上げ、発表したとこのとですが、その間やその後の生涯にわたり、かなりの量の放射線被ばくをしているはずです。しかし、まだ、放射線の量の単位や、その身体への危険性も知られていなかった時代ですので、レントゲン博士の被ばく量はわかりません。博士は1923年にガンで亡くなっています。 また、キュリー夫人のラジウム発見は、偉大な業績です。放射線や放射性物質の発見の歴史は人類に大きな飛躍をもたらしました。しかし、その発見の影には、発見に関わった人たちの被ばく被害があったことも、事実として忘れてはならないことです。最初から放射線の害がわかっていたら、もうすこし歴史の道筋は変わっていたかもしれません。もっとも、当時の科学者たちはもし害だとわかっていても、そんなことを意に介したりしなかったかもしれません。 Wikipediaによると、キュリー夫人の実験室や、書籍などの遺品からも、未だに強い放射線が検出されるとのことです。発見家たち本人の被ばくはどれほどになったでしょうか。キュリー夫人は晩年、放射線被ばくによってよく引き起こされる、再生不良性貧血に苦しめられたそうです。 現在の私たちは、そうした放射線の功罪を知っているはずですから、放射性物質をできる限り避ける暮らしを考える必要があります。 |
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