教員用 p.15
国際放射線防護委員会ICRPの役割
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ICRPという組織は「国際的」な組織には違いないが、基本的にはボランティアで運営されているNPOである。そして、日本の原子力研究開発機構を始め、各国の原子力関係団体から多額の寄付を受けて運営されていることも事実である。 WikipediaにはICRPについて次のように書かれている。 医学分野で放射線の影響に対する懸念の高まりを受けて、1928年にスウェーデンのストックホルムで国際放射線学会(International Society of Radiology; ISR)の主催により開かれた第2回国際放射線医学会議(International Congress of Radiology; ICR)において放射線医学の専門家を中心として「国際X線およびラジウム防護委員会」(International X-ray and Radium Protection Committee; IXRPC)が創設され、X線とラジウムへの過剰暴露の危険性に対して勧告が行われた。 1950年にロンドンで開かれたICRにて、医学分野以外での使用もよく考慮するために組織を再構築し、現在の名称「International Commission on Radiological Protection; ICRP」に改称された。スウェーデン国立放射線防護研究所の所長であったロルフ・マキシミリアン・シーベルトは1929年にIXRPCの委員に就任し、ICRPに改組後も1958年から1962年まで委員長を務めた。 IXRPCからICRPに再構築された際に、放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある限度の放射線被曝を正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある*。ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基準が設けられ、1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度が勧告で出され、許容線量でないことは強調されたが、一般人に対する基準が新たに設定されたことに対して、アルベルト・シュバイツァーは、誰が彼らに許容することを許したのか、と憤ったという。 *:市川定夫 『環境学のすすめ : 21世紀を生きぬくために 上』 藤原書店〈Save our planet series〉、1994年、208頁。 (HP編集者注:ここでは、ICRPに組織変換してから原子力関係の専門家が委員に加わるようになり、性格が大きく変わり、原子力産業が成り立つ範囲に線量限度を据え置き、基準運用の原則を後退させ、規制の低減が見送られるようになったと述べられている。) また、これまでのICRPによる被ばくリスク評価の中心となるデータは、広島長崎の原子爆弾の初期被ばくデータが中心で、内部被ばくに関するデータが不足しているという批判がある。チェルノブイリ事故の被ばくデータを正しく反映するためとして、欧州放射線リスク委員会ECRRが1997年に設立され、ICRPの基準をきびしく批判している。 このようなICRPの性格の延長上の問題として、この副読本中学教師用解説のp.28には次のような記述がある。 「ICRPはこの防護措置について過大な費用と人員をかけることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できる限りにおいて行うべきであると述べている。」 この記述は問題である。人命よりも「経済的・社会的」要因を重視するような記述であり、その背景には、ICRPが人々の健康の問題だけを考えて活動している組織ではなくなってきたという歴史的背景がある。 前述のWikipediaの記述にもあるとおり、1950年に改組されてICRPが誕生して以来、「放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある程度の放射線被ばくを正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある。」という。事実、1980年代には、ICRPの委員17人のうち13人が各国の原子力行政や原子力産業の委員でしめられていたという。(NHK追跡真相ファイル2012.12.26.放送より) 有名なALARAの法則(As Low as Reasonably Achiebable)もそうした原子力関係の勢力の影響により、変質していった。(以下再びWikipediaより引用) 1954年には、被曝低減の原則を「可能な最低限のレベルに」(to the lowest possible level)としていたが、1956年には「実行できるだけ低く」(as low as practicable)、1965年には「容易に達成できるだけ低く」(as low as readily achievable)と後退した表現となり、「経済的および社会的考慮も計算に入れて」という字句も加えられ、1973年には「合理的に達成できるだけ低く」(as low as reasonably Achievable)とさらに後退した表現となった。これらの基準運用の原則は、頭文字を取って、それぞれ、ALAP(1954年、1956年)、ALARA1(1965年)、ALARA2(1973年)と呼ぶ。 ちなみに、この放射線副読本ではこのALARAの法則については、一言も触れられていない。 教師用p.28-cの注も参照 |
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