p.8-2   福島総合文化祭 <ふくしま総文>2011.8.
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第35回全国高等学校総合文化祭 福島大会
2011年の第35回福島大会では東日本大震災の影響により、パレードおよび吹奏楽部門、マーチングバンド・バトントワリング部門、JRC・ボランティア(協賛部門)は中止、書道部門、放送部門は作品審査のみとなり、演劇部門は香川県、郷土芸能部門は岩手県で開催され、その他の部門でも会場・日程変更がなされた。wikipediaより

第35回全国高校総合文化祭福島大会(ふくしま総文、文化庁など主催、朝日新聞社など特別後援)が3日から7日まで、会津若松市や福島市、郡山市などを会場に開催される。原発事故の不安から一時は開催が危ぶまれたが、例年よりやや少ない15部門に全国から1万2600人の高校生が参加する。


 毎年全国各地で持ち回り開催される全国高等学校総合文化祭。文化部に所属する高校生にとっては、"文化部の甲子園"ともいえる晴れ舞台です。2011年8月に福島県で開催された第35回全国高校総合文化祭福島大会(ふくしま総文祭)をめぐっては、開催地の福島県はもちろん、全国の高校では苦渋の選択があったようです。

 一年以上も前から準備にかかわった地元福島県。なんとか大会を開催して、福島の"復興"ぶりをアピールしたい主催者・文化庁。大会出場を目指して、各県大会でしのぎを削る接戦の末に大会出場切符を手に入れた参加者たち。参加切符を手に入れたものの、団体種目で辞退者が相次ぎ、参加を断念せざるを得なかった他県の参加者。大勢の被災者・避難者をかかえながら、大会開催に奔走した福島の先生たち。先生たちの中にはご自分も被災者・避難者であった方たちも大勢いたと思います。福島原発事故により関係者たちの胸中にはさまざまな思いが交差しました。
 当HPの編集者が関わった神奈川県では、福島に行くことが決まった高校生の保護者に対して、学校や主催のふくしま全国高等学校総合文化祭実行委員会などに対して責任を問わない旨の「念書」を書いてもらって、生徒を送り出したそうです。それだけ被ばくを心配していたのです。
 福島へ行った生徒の話を聞くと、道案内役などに動員された地元の高校生たちが、炎天下文化祭会場付近の屋外に何時間も立たされていたという。地元の高校生よりも神奈川の高校生たちの方が被ばくを心配していたということです。


 そのころ、福島県内では平均値で当時の国の暫定基準値(3.8μSv/時)以上の学校等はなかったものの1μSv/時以上の学校等は67施設もあったそうです。(最大値2.2μSv/h、最小値0.11μSv/h)
 年に一度の"甲子園"であるだけに、さまざまな立場の人たちの思い入れは並々ならぬものがあったはずです。ただ誰もが一様に不安を抱えながらの開催であったことは否めません。開催地を移した部門もあったようですから、もう少し別のやり方があったと思います。





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