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【避難と帰還を巡る政策】
 2012年6月、全ての国会議員が賛成して「こども被災者支援法」が制定されました。
 支援法では、「支援対象地域での居住・他地域への移動・帰還を自らの意思で行えるよう、いずれを選択しても適切に支援」、「放射線による健康上の不安が早期に解消されるよう最大限の努力」が掲げられており、避難する権利がみとめられ、できる限り被ばくを避けるくらしが目標になっています。
 原発事故によって避難指示が出されて強制的に避難しなければならなかった住民はもちろん、放射能汚染が不安で避難した住民にも避難用住宅が無償で提供されました。
 一方で、住民がふるさとで暮らし続け、避難先から戻って生活をするために除染が行われ、復興に必要な新しい施設が、国の復興資金によって福島県内各地に建てられています。2016年12月、「復興加速化指針」が策定されたのち、年間被ばく線量20ミリシーベルトを目安とした避難指示の解除が加速され、人々をふるさとに戻し、町や村の賑わいを取り戻そうという、帰還復興政策が進められています。
 復興加速化指針では、「早期帰還支援と新生活支援の両面で福島を支える」とうたわれています。しかし、避難した先で"新生活"をしようとする支援は、打ち切られてきています。

 現実の問題として、帰還・復興を目指しても、地域の将来を担うこどもたちがほとんどふるさとに戻ってきていません。

【避難を継続する選択肢を奪わないで!】
 「こども被災者支援法」では、「支援対象地域での居住・他地域への移動・帰還を自らの意思で行えるよう、いずれを選択しても適切に支援」することが掲げられていますが、国と福島県は、避難者から生存の基盤である住宅を奪う避難用住宅無償提供の打ち切りをすすめています。
 2017年3月には避難指示が出されていない地域からご自身の判断で避難した住民への住宅無償提供が打ち切られ、苦しい生活の中でまだ汚染が残る元の住宅に戻るか、子供や高齢者の生活環境を変えずに避難先で住宅を自費で確保するかの選択を迫られる状況に追い込まれました。
 その後、避難指示が先に解除された地域から住宅の提供が打ち切られ、これまでに避難指示が解除された南相馬市などからの避難者用住宅は2019年3月末で終了します。町の大半が帰還困難区域のため全町避難が続く大熊町と双葉町以外は、浪江町、富岡町、飯舘村、葛尾村では避難指示が解除されていない帰還困難区域も含めて2020年3月末に住宅提供を終了すると発表されています。
 福島県の内堀知事は「避難者一人一人にていねいに寄り添う」と発言していますが、生活の基盤である住まいを取り上げられては、路頭に迷う避難者が出かねません。原発事故さえ無ければ避難する必要は無かったのに、期限を決められた「自立」の強制を迫られています。
 実際、住宅無償提供打ち切りを機に自ら命を絶った避難者もおり、避難者たちは、これ以上悲劇を繰り返してはならないと福島県や国の関係機関に訴え続けています。

   
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