p.15-4  風評被害 ↑前のページへもどる


 前回の副読本同様、今回も「風評」のことばが多用されています。
 前回の副読本で「イメージから生じる「風評」」と書いていた箇所を今回は「根拠のない思い込みから生じる風評」と変えていて、「風評」=「根拠のない思い込み」であるとし、「風評」の語気を強めています。
 「「原子力発電所の事故による影響を受けた地域」という根拠のない思い込みから生じる風評によって農林水産業、観光業等の地域産業への大きな被害が発生しました」という記述は、その前の「放射性物質による...直接的な影響」の文と齟齬を生じていて、文章そのものが破たんしています。
 それはともかく、福島第一原子力発電所の事故による放射線の影響を受けて、農林水産業、観光業等の地域産業への大きな被害が出たことは確かであり、「根拠のない思い込みから生じる風評」が産業に大きな被害を与えたわけでないことは紛れもない事実です。
 副読本では、「根拠のない思い込みから生じる風評」の言葉を何度も繰り返すことにより、放射線の実害は存在しないかのような印象の刷り込みに躍起になっているようです。

 汚染地に住み続けざるを得ない方々に配慮して、「風評」とい言葉を使っています。
 しかし、風評という言葉は根拠がないのに悪い評判がたつことをいいますが、 放射性物質によって汚染されていることは事実ですから、根拠がないことばかりとはいえません。 「基準値」より低線量でも、それなりの被害は生じます。
 とりわけ、子どもは放射線に敏感だというのは、国際的にも合意されています。 子どもにとっては、「風評被害」ではすまないこともあるでしょう。

   「基準値以下だから安全」、という表現ではなく、実際の放射線量を公表して、 その場所へ行く・行かない、そこに住む・住まないは個々人の自由であることを保障すること、 汚染のレベルがどの程度であれ、汚染地に住みつづける人にはきちんとした補償をし、 移住の希望があればそれを権利として認め、移住の保障をする、そうした対応が必要ではないでしょうか。

 「基準値」というのは、これだけ守っていれば絶対安全ですという値ではありません。「基準値」とは経済的概念なのです。 本来絶対安全を追求すれば、基準は「ゼロ」が望ましいのです。しかし、それでは経済的費用が膨大になるので、これくらいはガマンしてくださいという、 「ガマン量」なのです。

 そして、放射性物質で汚染したのは、東京電力とその原子力政策を推進してきた政府の責任です。 「風評被害」も放射能汚染もその責任はすべて東電と政府にあります。 「風評被害」の責任も東電・政府がきちんと補償すべきなのです。住民・市民同士が反目するのは筋違いです。
 また、もしそんなに補償の範囲を広げたら、賠償額が巨額になって日本経済の足を引っ張ってしまうという議論があります。 だから補償はしないでおこうというのは、被害を他人事としか考えていない議論です。 原発事故はそれだけの被害を与えてしまうことを覚悟しなければ、原発を動かすことは出来ないはずです。 事故が起こってしまったからには、そうしたエネルギー政策を選んでしまった国として全力を挙げてその補償をしなければならいと考えます。

 前回の副読本5ページには、1ページ全体が風評被害を取り上げています。 住民の被害のうち現在の最大の課題は「風評被害」であると言おうとしているのでしょうか。 線量が高くて住民が避難しゴーストタウンのようになってしまった町並みのことも、 実際に起こっている健康被害のこともこの副読本には取り上げられていません。
 復興・再生に向けた取り組み(前回の副読本6ページ)を取り上げていますが、今、福島原発事故を経験した私たちがするべきことは、 事故の教訓にしっかり向き合うことではないでしょうか。そして、その第一歩は、事故を風化させずに、 現在起こっていることをしっかりと全国の子どもたちに知らせることだと思います。

 震災いじめは、「賠償金をもらっている」、「放射能がうつる」、「菌というあだ名をつける」などによるものであることが明らかになっています。 なかでも「賠償金」に関するいじめの件数は多く、大人も子どもも苦しめられているとの報告が多く挙げられています。

 2017年には、いじめによる中学一年生の少年の自殺未遂が明らかになりました。 少年は福島市から横浜市の小学校に転校してきた直後から、名前にばい菌の「菌」をつけて呼ばれるいじめを受けていました。さらに、「賠償金があるだろう」などといわれ、ゲームセンターなどで遊ぶお金として、10人ほどの同級生に150万円を払わされていました。この少年は乱暴を振るわれたりしながら、何年間にもわたる苦痛に耐え続け、いじめっ子たちに渡すために家から現金をひそかに持ち出していたといいます。

 また、福島から都内に避難したある中学生の男子は、学校でいじめにあったことを次のように話しています。「学校で、特に説明もなく『福島から来た避難者だよ』と紹介されたら、絶対にいじめられると思う。(賠償金をもらっていない区域外避難者なのに)『賠償金をたくさんもらっている』と誤解される。国がちゃんと説明しないから、子どもも大人もいじめられる、と。(2018年2月12日、首都圏や関西などへの広域避難者と支援者の集会、主催:東京災害支援ネット他。)

 「賠償金」に関しては様々なケースがあり、その状況を把握することは困難です。しかし総じていえることは、賠償金を受けていない被害者も多いこと、また被害に応じて受けた場合であっても、ふるさとを奪われ、これまでの生活を根こそぎ破壊されたはかり知れない苦しみに対する代償にはとうてい及ぶべくもないということです。 「賠償金」については、できる限り詳しい説明がなされ、誤解を生じさせないようにしていくことが必要です。

 「賠償金」の説明と同時に、震災いじめを防ぐために何より必要なことは、原発震災によって想像を超えた過酷な生活を余儀なくされている子どもの苦しみについて理解することでしょう。
 放射線のせいで、壊れていなくても住み慣れた自分の家から避難しなければならなくなったこと、普通の生活を突然奪われ、友だちと別れ別れになり、あるいは家族が離れ離れになり、見知らぬ地で生活をしなければならなくなったこと。容赦なく苛酷な状況におかれた子どもの痛みを周囲が理解することです。
 子どもたちがいかに理不尽な状況におかれているかの具体的な記述が、この副読本において全くといっていいほどされていないことは残念な限りです。

 また、子どもが原発震災の被害者であるという位置付けをはっきりとさせることが必要です。
 原発震災の被害者と加害者が曖昧にされていることがいじめを助長しているともいえます。
 福島第一原発事故の原因、現状、被害の実態、原発事故の責任の所在が7年以上たってもいまだに明らかにされていないどころか、原発震災はなかったかのようにさえされつつあること。加害者の存在が曖昧なために被害者が放置されている現実がいじめを生みやすくしています。
 同時に、そういう状況に対する「無関心」がいじめを放置しているという可能性もありましょう。

  
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