原子力事故D

   これまでに起きた大きな事故(1)    


■ウラルの核惨事
 チェルノブイリ事故の他にも原子力事故はたくさん起きています。 ここでは代表的な事故についてだけ説明します。日本で起きたJCO事故についてはこちらを参照してください。




 ウラル地方ではソ連の時代に大きな核事故が3回起き、数十万人が被ばくしたといわれています。(上図参照)
 このことは長い間秘密にされていましたが、1993年ついにロシア政府が公表しました。 この3回の大事故で環境に放出された放射性物質の量はチェルノブイリ事故の20倍にあたると発表されました。

@:アメリカと旧ソ連が核兵器の開発競争をしていた時代にウラル地方に地図にも載らない秘密都市が作られました。現在は正体が明らかになってオジョールスクと呼ばれているそうですが、当時の暗号名はチャリャビンスクといいました。ここで原爆用のプルトニウムの生産をしていたのです。その過程ででる大量の放射性廃棄物を住民に知らせずにテチャ川に流していました。川の水を利用していた多くの住民と家畜が被ばくし、現在でも被ばく者からがんが多く発生しています。この流域は危険で人が住めません。
 詳しくは森住卓さんのHPへ
 さらに、中国新聞「21世紀核時代 負の遺産」へ



写真右 テチャ川流域、
廃村になったメトリノ村の教会。

(『核の20世紀』より。Lerager J.写す。
1951年の調べでは放射能レベルは自然放射能の30万倍だった。)


A:1957年には核コンビナートで放射性廃棄物を入れておいたタンクが爆発し大事故になりました。広大な土地が放射性物質によって汚染され、数千人が放射能障害でなくなりました。これは「ウラルの核惨事」として知られています。この大事故も30年以上もの長い間秘密にされていました。
 詳しくは中国新聞「21世紀核時代 負の遺産」へ

B:1967年、やはり放射性廃棄物を捨てていたカラチャイ貯水池の水が干上がって、からからに乾いた放射性物質が風に乗って吹き飛ばされてゆきました。放射性物質で汚れた範囲は1957年に起きた惨事と同じくらい広いといわれています。

 このように核兵器を作るということは、爆弾を落とされる側はもちろんのこと、爆弾を作る側の人間も大きな被害を受けるということです。アメリカでも原爆実験がビキニ環礁やネバダ核実験場で行われました。その風下にすむ人達、長崎を爆撃したプルトニウム爆弾が作られたハンフォード核施設の周辺にすむ人々に放射性物質による被害は広がっています。




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