原発で働く人々C

   原発で働く人々 (5)
    〜原発被ばく裁判げんぱつ ひばくさいばん


 写真は1971年5月福井県敦賀市ふくいけんつるがしにある日本原子力発電敦賀つるが発電所内で被ばくした 岩佐嘉寿幸いわさかずゆきさんです。

 被ばく後、体の調子がわるくなりチョットしたことでも つかれやすく、仕事をつづけられなくなりました。外からは健康けんこうそうに見えるため、人から「ぶらぶら病」などと悪口わるくちを言われていました。
 写真の岩佐さんの住まいのようすからは、岩佐さんの苦しい生活がうかがえます。

 彼は病気にもかかわらず日本ではじめて電力会社を相手に 「原発被曝裁判げんぱつひばくさいばん をおこしました。原発で被ばくしたことが原因で体をこわしたので、電力会社にその責任せきにんがあるとしたのです。裁判は17年間もつづきましたが裁判所は、体をこわしたのは被ばくによるためだとは認めませんでした。岩佐さんはその後なくなりました。

 最近では東京電力ではたらき被ばくして多発性骨髄腫たはつせい こつずいしゅ という血液のがんになった長尾光明ながおみつあきさんも、東京電力を訴えて裁判を起こしました。しかし、長尾さんは判決がでるまえに亡くなりました。

 このような下請けしたうけ労働者の数は電力会社の正社員の数よりもずっと多いことは 「原発で働く人々(1)」 のグラフでもわかります。原発で働いて白血病はっけつびょうやガンになる人は多くいますが、日本でこれまでに原発ではたらいたことが原因だと認められた人はわずか6人にすぎません。労働者が下請けや孫請けまごうけのため、親会社が事故をひみつにして裁判にうったえることがむずかしいためでもあります。


右写真:長尾光明氏/
  東京電力福島第一原子力発電所2号機格納容器内にて1981年12月
        



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