原子力事故A
チェルノブイリ原子力発電所の事故(2) |
■避難 放射線の被害 ひがいからのがれるためには、汚れていない場所にできるだけはやくにげるしかありません。しかし、チェルノブイリ事故では発電所から30キロメートル以内の住民13万5000人と、農村の動物たちの避難 ひなんがおわったのは、事故から8日後の5月3日のことです。そのあいだ、混乱 こんらんをさせないという理由で住民にはくわしい事故のようすも、放射線の危険性も知らされていませんでした。このため知らされていれば被ばくしなかったかもしれない多くの人が被ばく者になりました。 発電所の職員 しょくいんがすむ町プリピャチ市の住民は、まず4月27日に避難させられました。 住民達は2〜3日で帰れると思って、着の身着のまま きのみきのままで町をはなれました。しかし、20年以上たった今ももどることはできません。ゴーストタウンになったプリピャチ市のビルと急いで逃げた住民の家の写真を見てください。 |
■事故処理 原子炉は爆発 ばくはつしてから10日間ももえつづけ、そのあいだにたくさんの放射性物質 ほうしゃせいぶしつがまきちらされました。放射性物質が危険であることを教えられずに消火作業 しょうかさぎょうをした消防士 しょうぼうしの多くはまもなく死亡しました。 |