教員用 p.3   放射線が身の回りに存在すること
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 生徒用p.17〜18の注と同じ
 この記述は、放射線がいかにも環境中に大量に存在していて、害がなく、しかし、目に見えないのでよく知られていない、そのようなものとして考えられているような表現である。はたして、普通の中学生・高校生が日常生活において「放射線に慣れ親しむ」必要があるのだろうか。むしろ、日常生活においては、健康を阻害し、有害であるはずで、避けるべきものであるはずだ。
 何故、文科省が中学生・高校生たちに放射線に慣れ親しんでほしいのかといえば、原子力開発を推進するために、放射線への恐怖を取り除き、放射線を「日常のこと」として受容して、原子力への理解を深める、という理由以外にはあり得ない。
 しかし、福島原発事故以来、たしかに放射線は「身近なモノ」になった。福島原発からまき散らされた放射能により、東日本のほとんどの地域で放射能は「身近」になってしまった。そのような状況の中で、「放射線や放射性物質に対する理解」はどのようにあるべきか。それは当然、放射線・放射性物質の危険はどのようなもので、被ばくを避けるためにはどうしたらよいかということを知るためであるべきだと思われる。

 


教員用 p.6   自然放射線レベルの違い
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 色々な場所における自然放射線レベルの違い グラフなど  ここに記載されているグラフなどは、福島原発事故以前の数値を使っている。  福島原発事故により、関東地方以北・東北地方にかけて、 広範囲に放射性物質が拡散し、放射線のバックグランド値が軒並み上昇している。 事故によるこのようなバックグランドの上昇を記述しておかないと、 実際に環境の放射線測定を行った場合に、驚くような数値が出て、問題になると思われる。
 


教員用p.8 原子核から出る放射線 ↑前のページへもどる

 放射線が放出されるのは、次の二つの場合です。
 一つめのケースは、ウラニウムなどの大きな原子の原子核に、中性子が衝突した時に、原子核が分裂します。これを核分裂といいます。核分裂 の時に、ベータ線・ガンマ線や中性子線などの放射線が放出されます。
 またウラニウムの場合、分裂した原子核1個から中性子が平均2個ほど飛び出し、その中性子がまた他のウラニウム原子核に衝突すると、そこでも核分裂が起こります。こうして次々に核分裂が起こることを、連鎖反応 といいます。このときに膨大なエネルギーが発生します。これが、原子爆弾や原子炉の原理です。ですから、原子爆弾と原子力発電は兄弟なのです。


 核分裂によって二つに割れた原子核は、それぞれ別の原子の原子核になります。 どんな原子に分裂するか、確率的にしかわかりません。できた核分裂生成物の原子は、たいていは不安定で、放射線が出ますので、「死の灰」と呼ばれます。  この核分裂生成物のように、アルファ線やベータ線・ガンマ線などを放出して自然に分解していくことを崩壊(壊変)といいます。この崩壊(壊変)が、原子から放射線が出る第二のケースです。


教師用p.9 放射線の透過力 ↑前のページへもどる

 放射線の種類によってどれくらい透過力があるか、具体的な数値は次の通りです。空気中や人体中の「透過力」も問題です。下の図で、問題なのは、ガンマ線や中性子線は、人体を通り抜けますが、人体の60%は水分ですから、中性子線でも人体を通り抜けるときには減衰します。減衰するということは、そこの細胞・分子に放射線が衝突して、そこでエネルギーを失うということですから、あたった物質は分子レベルで傷つくのです。

 

 放射線の透過力についての説明で気づくことは、@:アルファ線やベータ線を出す放射性物質が体内に入った場合はとても危険だということ。これは説明にもあります。それならば、どういう物質がアルファ線やベータ線を出すかということも、知っておいた方がいいでしょう。
A:より問題なことは、アルファ線やベータ線しか出さない放射性物質が身体の中に入ってしまった場合、身体の表面から放射線検知器をあてても簡単には検知されないということです。
ストロンチウム90とか、プルトニウムとか、体内に取り込まれると、身体の外から検知器をあてても、わかりません。内部被ばくしないように、体内に取り込まないように用心することが大切です。


教員用 p.11   放射能と半減期
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 物理学的半減期に加え、生物学的半減期を加味したものを実効半減期というが、 実効半減期は物理的半減期よりも圧倒的に短いというような印象を 与える意図が、みえみえの記述になっている。
 ここで記述されている「生物学的半減期」に関しては、誤解が生じやすい。 福島原発事故後の現在では、環境中にセシウム137 (一定期間内ではヨウ素131)などの放射性物質が大量に存在し、 それら放射性物質は環境中に生活する人体に連続的に内部被ばくを引き起こしている。 従って、実験室的にたった一度だけ放射性物質を取り込んだ場合であれば、 記述された「生物学的半減期」で放射線量は半減することになるが、 連続的に取り込んでいる状況では、むしろ放射線量は蓄積していく ことになる。従って、実効半減期もその数字どおりには放射線量は減少していかない。 そうした指摘は不可欠である。
 次のグラフは、ICRPが2011年4月に、福島原発事故を受けて、 日本向けに公表した資料である。大人の場合、毎日10Bqずつの摂取でも、 セシウムは体内に蓄積し、約1年で1400Bqほど蓄積して飽和するすることが示されている。

 


教員用 p.11-12   放射線の性質
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 ここで述べられている放射線の電離作用や透過作用に関して、 そのメリットばかりが扱われていて、その危険性への言及が見られない。
 電離作用を用いた技術開発にしても、エックス線を用いた医療行為に 際しても、人間が被ばくしたら、細胞のD N A が傷つくことがあるから、 人間の被ばくを最小限に抑える必要がある。
 被ばく量は微量であるとはいえ、その扱いは放射線技師という資格が 必要だし、妊婦など不要の被ばくは避けた方がよいというような、 現在すでに行われている規制もある。日本の医療被ばくは世界最多だ という側面からも、高校生に対する注意の喚起が必要だ。
 単にメリットだけを扱うのは、問題がある。
 


教員用 p.13 身近な放射線や放射能の存在を
        理解できるようにする。

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 放射線・放射能をどうして身近な存在として理解しなければならないのか、 その意図が問題である。福島原発事故によって、拡散された放射性物質に苦しんでいる 6万人以上の避難者がいる中で、放射線利用への理解を求め、その普及促進を図ることが いまなすべきことだろうか。
 現在、汚染が広がったこの状況で、放射線測定器を用いれば、誰でも簡単に放射性物質の汚染状況を確かめることができる。そうした状況でこどもたちが持つべき認識は、基本的に放射線は生物と共存できないもので、環境中の放射線は少ないほどよいという認識のはずである。 また、身の回りに放射線があったとしたら、どのようにすれば被ばくを避けることができるか、ということこそ 学ぶべき事柄だと思われる。
 この部分の記述は、放射線の利用により利益を得る個人・団体の意図が働いているのではないかとさえ、疑われるような内容である。
 


教員用 p.14 簡易放射線測定器の活用
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 今、関東地方以北の学校で、放射線測定器で線量を測定すれば、 ほとんどの学校で、驚くような数値が観測される。 この副読本では、そのことに全く触れず、福島原発事故前と 何ら変わらない脳天気な内容になっている。
 もちろん、観測されるのは、福島原発から放出された放射性物質による放射線である。  とりわけ、雨どいや雨水ますなど、雨などが集まりやすいところで、 高線量が観測されるはずである。学校敷地内ならば、体育館の大きな屋根の雨水を 集める集水ますなどは、必ずといっていいくらい、高線量のはずである。 集水ますに溜まった、土砂などが高線量の原因なので、それらを定期的に除去したり、 高圧水で洗浄したり、除染作業が必要な場所があちこちにあるはずである。
 これは、なにも学校だけに限らない。民家や、民間の建造物でも、 あちこちで高線量が観測されるはずである。花こう岩や、湯の花、マントルなど、 特殊なものを用いなくても、環境中のあちこちに福島原発由来の放射性物質が溜まっているはずだ。
 このような現実に目を向けさせない放射線の扱いは、いったい何の役に立つのだろうか?


新潟県十日町のHPより


教員用 p.14 色々な測定器
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 今、福島原発から放出された放射性物質が環境中に散在している状況で、実験室の中のような測定器の話をすることにどれだけの意味があるのだろうか。大きな電気店や、通信販売でも数千円から簡便な放射線測定器が購入できる現在、もっと実用に即した説明があっていいように思う。  中学生・高校生の家庭では、そうした自前の測定器をもっている家庭があるはずである。現実はもっと先へ進んでいる。

 10万円以内で購入できるクラスの測定器は、測定値にばらつきが多い。機会があれば、一度は高額・精密な測定器と比較して、測定値の傾向を把握することをお勧めする。
 簡易型の機器は、相対的な線量の目安として用いるとよい。例えば、A地点よりB地点の方が線量が高いとか、昨日より今日の方が線量が高いとか、測定値を比較することで、高線量が観測されたら、より精密な測定器で再測定するようにすればよい。
 食品の測定に用いられる検査機は、このところずいぶんと価格も下がり、機種も豊富になってきた。数分から、長くても数時間で測定できるものが多く登場してきた。気をつけるべきことは、測定限界値である。一般に高価な機器ほど、また時間をかけるほど測定限界値は小さくなる。測定限界値以下(ND)だからといって、安心できるとは限らない。

 


教師用p.25 放射線の飛跡の観察 ↑前のページへもどる

 放射線が通った跡を見ることができる実験装置が「霧箱」という実験器具です。 文部科学省が全国の高校などに「エネルギー(原子力)教育予算」としてつけた予算では、 必ずこの実験器具を購入するように指導がされていました。一台70〜80万円もする実験器具ですが、 ほとんどの学校では、年に一度使うか使わないかで、実験室の隅っこでほこりをかぶっています。


教員用p.16 放射線発見の歴史 ↑前のページへもどる

 レントゲン博士の実験で使われていたのは、右写真のようなクルックス管と呼ばれる放電管です。学校の理科室などでもこの実験装置を見かけることがありますが、レントゲン博士が実験で確かめたように、そこからは放射線の一種X線(ガンマ線)が出ているので注意が必要です。
 レントゲン博士は、最初の発見から7日間研究室にこもってX線に関する論文を書き上げ、発表したとこのとですが、その間やその後の生涯にわたり、かなりの量の放射線被ばくをしているはずです。しかし、まだ、放射線の量の単位や、その身体への危険性も知られていなかった時代ですので、レントゲン博士の被ばく量はわかりません。博士は1923年にガンで亡くなっています。

 また、キュリー夫人のラジウム発見は、偉大な業績です。放射線や放射性物質の発見の歴史は人類に大きな飛躍をもたらしました。しかし、その発見の影には、発見に関わった人たちの被ばく被害があったことも、事実として忘れてはならないことです。最初から放射線の害がわかっていたら、もうすこし歴史の道筋は変わっていたかもしれません。もっとも、当時の科学者たちはもし害だとわかっていても、そんなことを意に介したりしなかったかもしれません。
 Wikipediaによると、キュリー夫人の実験室や、書籍などの遺品からも、未だに強い放射線が検出されるとのことです。発見家たち本人の被ばくはどれほどになったでしょうか。キュリー夫人は晩年、放射線被ばくによってよく引き起こされる、再生不良性貧血に苦しめられたそうです。
 現在の私たちは、そうした放射線の功罪を知っているはずですから、放射性物質をできる限り避ける暮らしを考える必要があります。


教員用 p.18 外部被ばくと内部被ばく
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 この部分の記述は、まるで福島原発事故がなかったかのような記述になっている。 現在、東日本で心配されているのは、事故で環境中に拡散された放射性物質による 外部被ばくであり、それら放射性物質が食物の内部に取り込まれていて、 そうした食物を食べることによる内部被ばくである。
 福島原発由来の放射線は、「宇宙から飛んでくる放射線(宇宙線)」などよりも、よっぽど身近な問題なのに、一言も言及がない不自然な記述である。


教員用 p.18 放射線から身を守るには
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 今、福島を始め、東日本の各地ではまさに「放射性物質が周辺に面として分布しているような場合」である。ここは率直に「福島原発事故により汚染された環境中では」という記述を用いた方が、わかりやすい。


教員用 p.18 内部被ばくを調べる
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 ここに記載されているホールボディーカウンターWBCは、 「厳密な測定」が出来る機種で、最近各地で用いられているのは、 右の写真のようなイス式の測定器である。
 福島原発事故後、被ばくした住民たちがWBCによる内部被ばくの測定を希望していたが、 なかなか測定してもらえなかったそうである。 自費で千葉の放射線医学総合研究所などへ出かけ、やっと測定してもらっても、 本人には数値が知らされず、ただ「(このレベルなら)大丈夫」ということを 言われただけだけだという。
 事故に備えて、測定器をそろえるだけではなく、 どのような検査態勢が必要かということも、検討されなければならない。


教員用 p.18 暫定規制値
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 「暫定規制値は、すべての飲食物を一年間、毎日、摂取し続けても健康に影響がないことを前提として決められた基準であり、相当の安全を見込んで設定されている。」とまで書いておきながら、それに続いて、「被ばくによる健康への影響を出来るだけ低く抑えることが求められていることから、合理的に達成可能な範囲内で適宜、この暫定値は見直される。」と書かれている。
 要するに、「暫定基準値」よりも、「健康への影響を出来るだけ低く抑えること」が出来る"別の基準値"が存在し、これはあくまでも「緊急時」のものであるわけだ。「相当の安全を見込んで設定されている」とはとても思えない。人々の不安を取り除くことにいかに汲汲としているかがよくわかる記述である。
 下表は、日本人の一日の食物の平均摂取量をもとに、暫定基準値・新基準値(2012.4.より)・ウクライナの基準値で、各基準値ぎりぎりの食料を食べたときの一日のセシウム摂取量(ベクレル)、およびそれから年間のセシウム摂取量(ミリシーベルト)を計算したものである。
 現実には、すべての食材で基準値めいっぱいの食材を食べることはあり得ないが、しかし、基準値というのは、そこまでの被ばくは「許される」あるいは「ガマンさせられる」値である。暫定基準値では、年間5mSvもの内部被ばくが許容され、新基準値でも年間約0.8mSvの内部被ばくまでガマンさせられることになっている。ウクライナの基準値は、およそその60%の被ばくになる。まだ日本の基準値は高いのではないだろうか。
 ちなみに、100Bq/kg という数値は、原子炉等規制法(2005年改訂)で定められた 放射性廃棄物のクリアランスレベルと同等であり、 コンクリートなど建設資材などへの低レベル放射性廃棄物の再利用が認められている値である。再利用可能な放射性廃棄物と同等のレベルで、食品の放射線基準も定められていることになる。




教員用 p.19 学習のポイント/指導上の留意点
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 「身の回りの放射線による被ばくの例や放射線によってがんになるリスクなどのデータを基に、放射線を受ける量と健康への影響について学ぶ。」という記述があるが、これは要するに「100ミリシーベルト以下の低い放射線量と病気との関係については、明確な証拠がないことを理解できるようにする。(留意点)」ということを教えることがポイントであるようだ。
 しかし、この記述に関しては文科省の姿勢は矛盾している。文科省が各所でその権威を引き合いに出すICRP(国際放射線防護委員会)の勧告を、この副読本自身が教師用指導書21ページで引用している。すなわち「(100mSvまでの被ばくの場合でも)、安全側に立って、ごく低い放射線量でも線量とがんの死亡率との間に比例関係があると考えて防護するように勧告している。」
 つまり、ICRPは「100mSv以下の低い放射線量と病気との関係について、比例関係があると考えて、防護策をとるように。」と勧告しているのである。
 この部分は、どうも文科省は気に入らないようである。 低線量でも比例関係が成り立つという考え方は「しきい値なし直線説(LNT)」と呼ばれるが、文科省や日本の「放射線ムラ」(原子力ムラと同じように、放射線にかかわる利益集団?が存在する。)は、 「しきい値なし直線説」に異を唱えている。しかし、上表に示すようにICRPを含むいくつもの国際的機関が「しきい値なし直線説」を認めている。日本の対応は世界の孤児となりつつある。
 日本では、白血病になった原発労働者が、年5mSv以上、合計40〜50mSvの被ばくで労災と認定された例がある。


教員用 p.20-a 放射線による人体への影響
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「・・・広島・長崎の原爆被災者の追跡調査などの積み重ねにより、放射線による人体への影響は明らかになってきている。」という記述があるが、広島・長崎の被爆者の調査では、原爆投下後の長期にわたる内部被ばくについては、ほとんど評価されていないという指摘がある。
 澤田昭二氏:「放射線による内部被ばく」『日本の科学者』2011年6月
   また、私たちが過去のデータを集めて調べたところによると、世界には この地図 に示すように、おびただしい数の放射線被ばく事故が起こっている。しかしそのほとんどが軍事機密や国家利権などの壁にはばまれて、事故の概要をはじめ、詳細なデータが知られていない。
 つまり、原子力や放射線にかかわる事故は、まさに軍事機密であり、国家にとって莫大な利権の絡む重要な機密事項なのである。したがって、放射線による人体への影響に関しては、ほとんど研究が進められていない、というよりむしろ研究が阻害、ないしは機密にされていると言ってもいいかもしれない。
 放射線被ばくによる人体への影響は今でもわからないことが多い。


教員用 p.20-b 100ミリシーベルト以下の放射線量
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 この部分に関しては「がん死亡がふえない」という証拠もない。出来る限り正確な言い方をすれば、まだはっきり分かっていないというべきである。。それをこのようにだけ言って安心させようとする意図が見え見えである。また、放射線の影響は、がんだけではない。俗に、原発ぶらぶら病などとも言われる、全身倦怠や、免疫力の低下など、100ミリシーベルト以下でも発生することが報告されている。
 教師用指導書21ページの注「ICRPの役割」を参照。





教員用 p.20-c 「しきい値がないと仮定する影響」
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 この部分の記述も、あいまいである。p.19の注にもあるように、文科省がその権威を引き合いに出すICRPは、 「しきい値なし直線説(LNT説)」を採用している。しかし、この文科省副読本の編集者である中村尚司氏らは、LNT説には反対のようである。彼らの主張では「100mSv」がしきい値であり、それ以下ではガンなどの影響はないということである。それ故に、この部分で低線量の被ばくに関して歯切れの悪い言い方で、放射線の影響を否定したいという意図があるようである。


教員用p.15  低線量率被ばくの影響
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 ここにはICRPの勧告が紹介されている。すなわち
「(ICRPは)一度に100ミリシーベルトまで、あるいは1年間に100ミリシーベルトまでの放射線量を積算として受けた場合(低線量率)には、リスクが原爆の放射線のように急激に受けた場合(高線量率)の場合の2分の1になるとしつつも、安全側に立って、ごく低い低線量でも線量とがんの死亡率との間に比例関係があると考えて防護するように勧告している。」
  これは「線量-線量率効果係数(DDREF)」と呼ばれる問題である。この副読本の他の部分では、100mSv以下の低線量被ばくと病気との関係には「明確な証拠はない」という御用学者の言説をことさらにとりあげるが、重要なのは、明確ではないことではなくて、防護することだ。従って、勧告を文字通り受け取り、予防原則に立って、放射線をできる限り浴びないようにするべきなのだ。

  なお、この引用にある「原爆の放射線」とは、いうまでもなく広島・長崎の原爆による被ばくの分析データである。そして上述の「2分の1になる」の部分について、2011年12月28日にNHKから放送された「追跡真相ファイル低線量被曝・揺らぐ国際基準」という番組で、この数値に明確な科学的根拠はなく、むしろ政治的な決定だということが、ICRP関係者の話として明らかになった。そして、その妥当性を巡って議論があることも紹介された。
 この番組が放送されると、原子力ムラの学者達が騒ぎ始めた。原子力ムラの学者達112名が連名で、番組が関係者の発言を正確に翻訳せず、放射線の危険性をことさら扇動しているなどとして、NHKとこの番組の制作者達に抗議し、BPO放送倫理・番組向上機構に提訴するという騒ぎになった。低線量被ばくの影響について、ICRPが過小評価していた舞台裏があばかれてしまったからだろう。       こちらに抗議文

 単純な比較でも、広島・長崎のデータは原爆による一度きりの、大部分は外部被ばくが中心であるのに対して、チェルノブイリ原発や福島原発事故の場合の被ばくは、内部被曝が問題になることであり、しかも広島・長崎のデータは、内部被ばくの影響が正当に評価されてこなかったとの指摘もある。副読本のように断定的に教えることには問題がある。
                       澤田昭二氏『日本の科学者』2011年6月号
 なお、低線量被ばくにより引き起こされる障害は「がん死」だけではない。チェルノブイリ原発事故で被ばくした人々の間で起こっていることが最近ようやく明らかになりつつある。心臓病や脳血管病・糖尿病・免疫力低下など、いわゆる「加齢」にともなう諸症状が報告されているが、まだ、日本には詳しい分析は普及していない。今後の知見が待たれるところである。
                              根岸富男 岩波『科学』2012.3.より  


教員用 p.21-b 集団実効線量について
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 ここにICRPの2007年勧告(Publication103)の引用がある。「特に大集団に対する微量の被ばくがもたらす集団実効線量に基づくガン死亡数を計算するのは合理的ではなく、避けるべきである。」という記述は、この副読本のこの直前の記述とまっこうから矛盾しているが、この副読本の編集者はそのことに気づいていないらしい。
 すなわち、この前の段落の枠囲みの中で、「仮に蓄積で100mSvを1000人が受けたとするとおよそ5人がガンでなくなる可能性があると推定している。 日本では約30%の人がガンでなくなっているので、この推定を用いると1000人が数年間に100mSvを受けたとすると、ガンによる死亡がおよそ300人から305人に増える可能性があると推定される。」という部分について、このような計算の仕方は避けるべきと言うというのが2007年勧告の主旨である。

 なぜ、このようなちぐはぐな記述がここに見られるのか。ICRPのこの前の大きな勧告は1990年に出されたPublication60である。これを受けて日本の国内制度が整備されてきていたが、2007年勧告については、福島原発事故直前の2011年1月に放射線審議会基本部会が 第2次中間報告を出し、国内制度改定の方向性をようやく示したところである。

 従って、日本の諸制度はまだ、2007年勧告をきちんと消化していない。ましてや、この副読本の編集者である中村尚司東北大名誉教授らは、LNT仮説についてなど、ICRPとも見解を異にする。そういう中で福島原発事故が起き、旧態依然の発想のままこの副読本が制作されたのではないかと私たちは推察する。

 ICRP2007勧告(日本語訳)には、次のように述べられている。
『約100 mSVを下回る低線量域では,がん又は遺伝性影響の発生率は、関係する臓器及び組織の等価線量の増加に正比例して増加すると、仮定するのが科学的にもっともらしい。それは、例外はあるが、線量反応データーと基礎的な細胞過程に関する証拠によるものである。したがって,委員会が勧告する実用的な放射線防護体系は次の根拠に基づく。約100 mSVを下回る線量においては,ある一定の線量の増加は、それに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を生じるという仮定である。この線量反応モデルは一般に“直線しきい値なし仮説又はLNTモデルとして知られている。LNTモデルを採用することは,線量・線量率効果係数(DDREF)について判断された数値と合わせて,放射線防護の実用的な目的,すなわち低線量の放射線被ばくのリスクの管理に対して根拠を提供している。LNTモデルは実用的な放射線防護体系において、引き続き科学的な説得力があるが,このモデルの根拠となっている仮説を明確に実証する生物学的あるいは疫学的知見は、すぐには得られそうもない。すなわち、低線量における健康影響が不確実であることから,委員会は,公衆の健康を計画する目的には長期間にわたり多数の人々が受けた、ごく小さい線量に関連するがん又は遺伝性疾患について、仮想的な症個数を計算することは、適切ではないと判断する。』

 つまり、低線量被ばくにおいては、被ばく量からそれによる障がいの発生数を予測するには、現時点ではデータ不足ということ。しかしだからといって、障害が発生しないわけではない。




教員用 p.21-c 放射線のリスクとベネフィット
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 放射線の医療分野における利用ならば、ここにあるようなリスクとベネフィットを考えることもよいかもしれないが、福島原発事故による現在の被ばく状況は、どう考えてもベネフィットがあるわけではない。被ばくを強いられている福島を中心とする人々はリスクを負うばかりで、ベネフィットを受けていた人たちは、東京電力の電気を利用していた東京をはじめとする関東の人々であったわけだ。
 放射線利用一般の話と、現在の被ばく状況を一緒に話をするべきではないし、そんな議論を持ち出しているということは、この副読本の発行の意味があくまでも放射線利用の普及促進にあることを暴露していることになる。
 また、このページの前の注p.21-aで触れたALARAの法則でも見られるが、ICRPの議論には、この「リスクとベネフィット論」 と同じように、「最適化」の議論の中で「コスト・ベネフィット論」 が必ず出てくる。原子力産業にとっての基本的関心はコスト・ベネフィット論であろうが、その延長上でリスク・ベネフィット論も議論されている。人の命もお金に換算されてしまっている。


教員用 p.21-a 国際放射線防護委員会ICRPの役割
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 ICRPという組織は「国際的」な組織には違いないが、基本的にはボランティアで運営されているNPOである。そして、日本の原子力研究開発機構を始め、各国の原子力関係団体から多額の寄付を受けて運営されていることも事実である。

WikipediaにはICRPについて次のように書かれている。
 医学分野で放射線の影響に対する懸念の高まりを受けて、1928年にスウェーデンのストックホルムで国際放射線学会(International Society of Radiology; ISR)の主催により開かれた第2回国際放射線医学会議(International Congress of Radiology; ICR)において放射線医学の専門家を中心として「国際X線およびラジウム防護委員会」(International X-ray and Radium Protection Committee; IXRPC)が創設され、X線とラジウムへの過剰暴露の危険性に対して勧告が行われた。
 1950年にロンドンで開かれたICRにて、医学分野以外での使用もよく考慮するために組織を再構築し、現在の名称「International Commission on Radiological Protection; ICRP」に改称された。スウェーデン国立放射線防護研究所の所長であったロルフ・マキシミリアン・シーベルトは1929年にIXRPCの委員に就任し、ICRPに改組後も1958年から1962年まで委員長を務めた。
 IXRPCからICRPに再構築された際に、放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある限度の放射線被曝を正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある*。ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基準が設けられ、1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度が勧告で出され、許容線量でないことは強調されたが、一般人に対する基準が新たに設定されたことに対して、アルベルト・シュバイツァーは、誰が彼らに許容することを許したのか、と憤ったという。
*:市川定夫 『環境学のすすめ : 21世紀を生きぬくために 上』 藤原書店〈Save our planet series〉、1994年、208頁。
(HP編集者注:ここでは、ICRPに組織変換してから原子力関係の専門家が委員に加わるようになり、性格が大きく変わり、原子力産業が成り立つ範囲に線量限度を据え置き、基準運用の原則を後退させ、規制の低減が見送られるようになったと述べられている。)


 また、これまでのICRPによる被ばくリスク評価の中心となるデータは、広島長崎の原子爆弾の初期被ばくデータが中心で、内部被ばくに関するデータが不足しているという批判がある。チェルノブイリ事故の被ばくデータを正しく反映するためとして、欧州放射線リスク委員会ECRRが1997年に設立され、ICRPの基準をきびしく批判している。

 このようなICRPの性格の延長上の問題として、この副読本中学教師用解説のp.28には次のような記述がある。
「ICRPはこの防護措置について過大な費用と人員をかけることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できる限りにおいて行うべきであると述べている。」
 この記述は問題である。人命よりも「経済的・社会的」要因を重視するような記述であり、その背景には、ICRPが人々の健康の問題だけを考えて活動している組織ではなくなってきたという歴史的背景がある。
 前述のWikipediaの記述にもあるとおり、1950年に改組されてICRPが誕生して以来、「放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある程度の放射線被ばくを正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある。」という。事実、1980年代には、ICRPの委員17人のうち13人が各国の原子力行政や原子力産業の委員でしめられていたという。(NHK追跡真相ファイル2012.12.26.放送より)
 有名なALARAの法則(As Low as Reasonably Achiebable)もそうした原子力関係の勢力の影響により、変質していった。(以下再びWikipediaより引用)
 1954年には、被曝低減の原則を「可能な最低限のレベルに」(to the lowest possible level)としていたが、1956年には「実行できるだけ低く」(as low as practicable)、1965年には「容易に達成できるだけ低く」(as low as readily achievable)と後退した表現となり、「経済的および社会的考慮も計算に入れて」という字句も加えられ、1973年には「合理的に達成できるだけ低く」(as low as reasonably Achievable)とさらに後退した表現となった。これらの基準運用の原則は、頭文字を取って、それぞれ、ALAP(1954年、1956年)、ALARA1(1965年)、ALARA2(1973年)と呼ぶ。

 ちなみに、この放射線副読本ではこのALARAの法則については、一言も触れられていない。
教師用p.28-cの注も参照


教員用 p.22 ガンになる相対リスク
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このようなガンの相対リスクをなぜここで取り上げるのか、その意図をしっかりと考えておく必要がある。低線量の放射線被ばくのリスクは肥満や喫煙に比べると、ガンになるリスクは少ないというデータである。だから、放射線の影響はたいしたことはない、心配するに及ばないと言いたいようである。
 しかし、喫煙や肥満などはある意味で自己責任であるが、福島原発事故による放射線被ばくは、理不尽きわまりない、他人から押しつけられた被ばくである。
生徒用p.16bの注も参照


教員用 p.22-b 自然及び人工放射線源から受ける
           一人あたり年間線量
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 生徒用p.13bの注も参照。
 このグラフから見るとおり、日本での自然放射線による被ばく量は、1.48mSvであり、世界平均の2.4mSvよりも少ない。にもかかわらず、年間の被ばく量は、世界平均よりも多く、その原因は医療被ばくが世界平均の4倍近くに達しているためである。 これについて、2005.2.10. 読売新聞には次のような記事があった。

生徒用p.17の注と同じ引用
日本人のガン、3.2%は医療被ばく (記事の要約)
            英国医療専門誌 ランセント報告  2005.2.10. 読売新聞
 日本国内でがんにかかる人の3.2%は医療機関により放射線診断で 被ばくが原因のがん発症と推定されることが、国際的研究で明らかになった。
 英国オックスフォード大学チームが、15か国を対象1991−96年調査、 日本の医療診断によるがん発症がもっとも高いと判明。
 CTの高い普及度が背景。2004年:国内に7920台配置。
 日本国内での医療診断によるがん発症は7,587件でがん発症者の3.2%。
  (英国では0.6%、米国では0.9%)
 日本の検査数は15か国平均の2倍近く、がん発症は2,7倍。

 日本:CT検査装置の普及進む。人口100万人当たり64台で最高、 次位のスイスでさえ26台程度。  検査をすればするほど 医師の収入増につながるが、CTの過剰検査は要注意。 超音波など害のない診断への移行が望まれる。

日本の医療被ばくは、世界でも飛び抜けている。 【緊急被ばく医療研修のHPより】



教員用 p.23-26 放射線の利用
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 「放射線の利用」については、とても内容が充実している。教師用解説書でも本文全体が26ページに対して、4ページも割いている。
 いま、中学・高校生に必要なことはこのような「放射線の利用」についての理解を深めることだろうか。福島原発で大勢の人々が被ばくし、高レベルの放射線汚染により、今後数十年間故郷に戻ることが出来ないような状況が発生してしてしまったのが現在の状況である。このような放射線の有用性を説くのは、原子力研究・開発を目指す中学・高校生が一人でも残るように、原子力産業の最後のあがきのようにも見て取ることが出来る。
 日本で原子力開発が始められた頃、広島・長崎の原爆投下により、核・原子力開発に関して日本人はマイナスのイメージをもっていた。このイメージを払拭すべく、初代科学技術庁(当時)長官に就任した正力松太郎が、長官職でありながら私企業の経営者をかねて、その率いる読売グループを中心に、日本のマスコミ界がこぞって原子力技術のバラ色のイメージを普及するための『原子力の平和利用"Atoms for Peace"』の一大キャンペーンを展開したという。当時の情景に、現在のこの文科省の活動が重なって見える。(ちなみに、政界で原子力開発の旗振りをし、日本で初めての原子力予算を提案したのは中曽根康弘である。)
 その科学技術庁というのは、そもそも原子力開発を担うための創設された組織であり、その技術の中核は、今日の高速増殖炉「もんじゅ」に引き継がれている核燃料サイクルである。現在の文部科学省はその科学技術庁と文部省が統合(2001年)されて出来ている。であるからこそ、この放射線副読本でも、放射線の効用をうたう内容がこれだけの分量を占めているわけである。
 しかし、今回の福島原発事故を契機に、これまでの原子力開発そのものを見直す時期に来ている。そのことを文科省は理解していないし、しようともしていないように思われる。
 ただし、今後も原子力・核関連の技術は必要である。だが、それは、これだけの被ばくがもたらされたことの後始末や、また各地の原子力発電所やその関連施設の後始末と、おそらく、十数万年は管理し続けなければならない核廃棄物の安全で確実な管理のためであろう。そうした方向性をきちんと持つべきである。


教員用 p.24 医療分野 <診断:PET検査>
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 「核医学の検査では、微量の放射線を出す化合物を体内に投与して、体内から出てくる放射線を捉えて診断する方法もある。」
 この検査方法は PET検査:Positron Emission Tomographyという。
グルコース(ブドウ糖)の分子の一部に放射性アイソトープを組み込んだトレーサーと呼ばれる物質を点滴で体内に注入し、がん細胞が活発にそれらブドウ糖を集める性質を利用して、ガンマ線検出器でその場所を特定する。ガンの早期発見に有効とされている。現在、国内では数10カ所の病院などで、この検査を受けることが出来、一部健康保険も適用されることになったため検査機関は増えている。
 しかし、放射性アイソトープを供給するために、1台数億円はするサイクロトロンが必要である上、検査機器も高額で、受診料負担は10数万円にのぼる。集客のために夫婦割引や、旅行パックやゴルフパックに組み込んだりするサービスや、中国など近隣諸国の富裕層を狙った日本ツアーに組み込まれたパックも発売されているという、問題の多い高額医療である。
 放射線被ばく量は大きく、PETとCTを一体化したPET/CT装置を用いた検査が標準的だが、1回の検査における放射線被曝は23〜26 mSvにのぼり、低レベル放射性廃棄物もだされる。
 リスクとベネフィット、さらにはコストとベネフィットをしっかり吟味して考えた方がよい。


教員用 p.24-b 医療分野 <放射線の利用>
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 ここでも医療被ばくによる弊害が語られていない。これらの放射線による医療行為は、被ばくのデメリットよりも、それを上回る治療効果というメリットに対して納得した場合にのみ、行われるべきである。日本の医療被ばくは世界一であり、医療被ばくによるがんの発生も、世界平均を大きく上回っているという報告がある。

教員用p.22bの注も参照

↑ 緊急被ばく医療研修のHPより


教員用 p.24-c 農業分野 食品への放射線照射
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 生徒用p.17bの注も参照
この分野の記述は、遺伝子組み換え技術と同じで、生命のDNAを放射線により損傷させることで、応用されている技術だ。例えば、「ジャガイモの発芽抑制」というのは、放射線によってジャガイモの成長細胞のDNAを破壊し、新芽の細胞分裂が起こらないようにしたものである。つまり、細胞を殺してしまうことだ。そのような食品を摂取することについて、懸念がもたれている。


教員用 p.27-a 学習のポイント/指導上の留意点
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 「事故後しばらくたつと、放射性物質が地面に落下することから、それまでの対策をとらなくてもよくなることを理解できるようにする。」
 根拠のない安心を与えるための、きわめて問題の大きい記述である。放射性物質が浮遊しなくなって地面に落ちたとしても、無くなったわけではない。風が吹けば、ちり・ほこりと一緒に舞い上がるだろうし、泥などと一緒に体に付着することだってある。子どもにだってわかるような間違いを、莫大な税金(電源三法交付金の一部)を用いて制作した副読本に載せるのか、理解に苦しむ。


教員用 p.27-b 放射性物質の管理とは
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 福島原発事故以前からある放射線管理区域の設定基準は、表の通りであり、ここには具体的な記述が見られない。
 福島原発から放出された放射性物質により、関東以北の至る処でこの基準を上回る汚染が発見されている。もはやこの基準は、基準としての意味をなさない。とりわけ、ホットスポット・マイクロスポットと呼ばれているところでは、これらを遙かに上回る線量が観測されている。この部分の記述は、きわめて脳天気であり、もしこれを適用するならば、皆が法律違反をしていることになってしまう。


教員用 p.28-a 退避と避難の考え方
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 「自治体の指示で飲食を制限されている飲み物や食べ物をとらないことが重要となる。」
 福島原発事故の時に、自治体が信用の出来る情報を発信したことがあっただろうか? 事故の時、福島原発地元の浪江や双葉の人々は、情報の無いままに、飯舘村方面へ避難していった。しかし、そこは原発から放出された放射性物質の線量の高い地域であり、住民たちの被ばく量は増えていってしまった。
 そうしたことの反省を生かして、政府や自治体はどのように対応を改善したのだろうか? すくなくとも、これまでにそのような具体的な改善が報道されたことはない。そのような具体的改善のなされないまま、関西電力大飯原発3・4号機は再稼働された。
 原発は稼働していなくても危険なものであるのだから、すべての原発立地自治体とその周辺の自治体で、事故がおこることを前提に事故時の緊急対応を再検討する必要がある。

生徒用p.20の注も参照


教員用 p.28-b 避難勧告となる20ミリシーベルトの考え方
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 ここではICRPの勧告は、絶対的な権威であり、これさえ守っていれば絶対大丈夫であるかのような記述である。しかし、 教師用指導書p.21の注 にもあるとおりICRPという組織は、絶対的なものではあり得ない。原子力産業界の意向を大きく受けた組織であることから、その勧告は放射能汚染事故の被害をできるだけ小さく見せようとしているという批判がある。そして、ICRP以外にも放射線防護に関わる勧告を出している組織があり、それらの中には、もっと厳しい基準を主張しているものもある。
 したがって、ICRPの主張する緊急時の被ばく基準の最低線20mSvをさえ守っていれば大丈夫というわけではもちろんないし、緊急時であろうと無かろうと、人工放射線被ばくゼロが望ましいのにかわりはない。緊急時だから仕方なく20mSvまでガマンするしかないという状況なのに、この副読本の書き方だと、20mSvまでの被ばくなら緊急時は当然というニュアンスが問題である。被ばくを押しつけるような態度が問題だ。
 またここには、年齢差が考慮されていない。いかに緊急時といえども、放射線への感受性の強い、妊婦・胎児・乳幼児・幼児など、成長活動の活発な年齢のこども達への被ばくは、年20ミリシーベルトでは大きすぎる。現に、原発事故の被災地では、こども達を被爆から救うために、1ミリシーベルトに出来る限り近づけるように、あとで文科省自身も基準を改定したことを忘れている。 生徒用p.20の注も参照


教員用 p.28-c 放射線の規制値
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 「(この1mSv/年という線量限度について)これらの限度を超えれば、健康影響が現れるというような安全と危険の境界を示すものでは無い。」 この記述は、事故後に政府当局者によって発せられた「直ちに影響はない」という言明に似ている。いわば放射線特有の事象であり、化学的な毒物とは異なり、低線量放射線被ばくによる確率的影響というのは、概して晩発的影響であるので、他の要因と明確に区別がつきにくいという特徴がある。
 またこの記述は、今回の福島原発事故でこの線量限度を超える被ばくが各地で起こってしまったために、人々の不安を鎮めるための言い方である。そもそも基準値はそれなりの根拠があって定めたはずで、その基準を守ることで一定の安全が担保されるもののはずである。それを現実が先行したために、実はその基準はたいしたことは無いなどと、その場しのぎの言い訳をしているようだ。

 「・・・・計画的な防護が出来ない状況であるので上述の年間1mSvという線量限度は適用されず、緊急事態期や事故収束後の復旧期の参考レベルという制限値を用いて防護する。・・・」 
 非常に居丈高な物言いで、現実に被ばくした人々の気持ちを逆なでる記述である。極めて機械的な記述で、このような事態を招いてしまったことへの問題意識を読み取ることが出来ない。それは、次の末尾の記述につながる、この副読本の編集者たちの立ち位置を表している。すなわち・・・
 「しかし、ICRPは、この防護措置について過大な費用と人員を掛けることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できるかぎりにおいて行うべきであると述べている。」
 この記述は、ICRPとこの本の編集者および文科省のコストベネフィット論的体質を物語っている。
ICRPのお墨付きに甘えて、被ばくの危険性に直面している国民を見ていない書き方である。放射線防護に関して、出来る限りの努力をすると表明するのではなく、「過大な費用と人員を掛けることなく、経済的、社会的に見て、合理的に達成できる限りにおいて行うべき」というのは、人命軽視、人命尊重よりも経済原理優先、の功利的発想に他ならない。これをこども達に教えろと言うのであろうか?

 今目の前で、危険にさらされている人命があるとしたら、経済原理優先だから、救助にはお金がかかりすぎるので、救助はあきらめてください、と言明する人がいるだろうか? 放射線の影響は、晩発的影響でもあるだけに、すぐ目の前にある危険ではないところが、問題を見えにくくしている。

 この項目でこどもたちに教えるべきと思われるのは、放射線防護に関する ALARAの法則(As low as reasonably Achivable). であろう。しかし、この法則を、この記述のように解釈するのは防護を第一の基本とする観点からは異論が出るだろう。法則を直訳すれば、「合理的に達成可能な限り、できるだけ低く抑える」という意味であるのに対して、この記述は「達成可能な限り」を「合理的な範囲内」に限定するような意味に解釈しようとしている。「達成可能な範囲」が例えば経済情勢によって「適宜」「合理的」に変動するかのような恣意的な解釈は、人命軽視とも受け取られるので、これがいわゆる「放射線ムラ」の本音かもしれないが、少なくとも教育の場面では慎むべきである。
教師用p.21-aの注も参照

 線量限度という考え方があるが、原子力産業によるWeb事典"ATOMICA"には右のように記述されている。つまり、線量限度はガマン値であり、それを超える線量は受け入れ不能であるとされている。
 日本の現状は受け入れ不能である。



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