核兵器と核実験A
世界の核実験 |
第二次世界大戦が終わるとすぐに世界は核軍備 かくぐんびの競争時代に突入 とつにゅうしました。東西の 冷戦時代 れいせんじだいともいわれ、共産主義と資本主義の国々が
おたがいに相手よりも強力な原子爆弾を作ることを競争したのです。そ
の結果、下の世界地図に示すように核実験場はほとんど地球全体に広がりまし
た。 1945年から18年間の核競争の時代に米国、旧ソ連、英国、フランスなどが行った核実験の回数は地図中の表に示してあります。 実験によって世界中に死の灰 しのはい=放射性物質がふりそそぎました。核実験場のまわりにすむ人たちには危険性も知らせずに注意も与えないというのはどこの国も同じでした。 1954年3月に日本のマグロ漁船第五福竜丸 ふくりゅうまる(写真右)が米国がビキニ環礁 かんしょうで行った水爆実験( ブラボーショット) で死の灰を浴び、久保山愛吉 くぼやまあいきちさんが亡くなりました。 これをキッカケに日本から世界に核実験反対運動が広がってゆき、1963年8月には大気圏内 たいきけんないの核実験が禁止されました。( 部分的核実験停止条約 ぶぶんてきかくじっけん きんしじょうやく) しかし、これまでにはすでに約473回の実験が行われていました。その後も地下の実験は続けられ1990年までに1328回となりました。 核兵器はその爆発の時、環境を破壊 はかいし生き物を殺し、健康に大きな被害を与えることはおおくの人にわかることです。しかし、核の被害はそればかりではありません。 爆弾を作るまでにも、核実験の後にも、その放射性物質によって長い間地球上のすべての生物の命をおびやかしつづけます。戦争で原爆が使われたのは、広島・長崎の2発ですが、地球上では合計1800回以上の核爆発がおきました。核軍備競争によって人々が受けた被害について調べてみましょう。 |
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