核兵器と核実験F おわり

   イギリス・フランスの核実験   






フランス

 フランスが大気圏内核実験たいきけんない かくじっけんをはじめたのは世界的にその実験が禁止された後の1966年です。実験場はゴーギャンの絵で知られるタヒチ島のあるフランス領ポリネシア、ムルロア環礁かんしょうでした。

 フランスは秘密主義を徹底てっていし、反対運動をした住民をつかまえて刑務所けいむしょにぶち込みました。核実験が行われたあど、魚を食べたり、海で泳いだりすると病気になる人が増えましたが、病人にはそのことをほかの人に言わないように口止めし、外国の記者なども島に入れないようにしました。核の被害をかくそうとしたのです。

 しかし、世界的な反核運動が高まり、フランスの製品を世界の人々が買わないようにしたため、ついには実験を中止しました。しかし、地下爆発によって環礁を作って いる珊瑚礁さんごしょうにひびが入ってしまい、そこから放射性物質がいつもれでてくるか分からない状態です。

イギリス
 イギリスが核実験を行ったのはアボリジニーが住むオーストラリアの砂漠や太平洋のクリスマス島などです。

 アボリジニーは住む土地を追われ、生活や文化は破壊されてしまいました。核爆発やキノコ雲が人間によって作り出されたものであるなどとは理解できないアボリジニーの人々の間では、健康被害を調べることも難しく、その実態はハッキリ分かっていません。

 クリスマス島の実験に参加させられたイギリスやニュージーランドの兵士は今でも人体実験の材料にされたのではないかというたがいをすてきれません。なぜなら、普通の服装のままで放射線を測る測定器をつけて実験に参加させられたからです。爆発の瞬間しゅんかんは自分の手の骨が見えたといいます。恐さのために気が狂ったようになった兵士もいました。
 大部分の兵士は実験後、毛がぬけたり、皮下出血ひかしゅっけつ、吐き気、めまい等の症状を示しました。健康に対する影響は兵士だけにとどまらず、子どもにまでおよびました。それでも英国政府はこれを放射線の影響だと認めようとはしません。多くの被ばく兵士達は国の責任を問うて、裁判を起こしています。


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