原子力発電は環境にやさしいか?

 環境にやさしいとは、人間や他の生物が生きるのになじむ技術であるということだと思います。まずは、それを判断するのに必要な視点を整理しておきましょう。

新たな忌避感覚(危険を察知して避けようとする感覚)の必要性

 自殺をするのでもない限り、高いビルの上から飛び降りる人はいません。それは、数秒後に迫り来るリスクが感覚的に分かるからです。動物が生き残るために様々な忌避感覚をもつように、私たちも生来の忌避感覚に加えて,科学技術をもったことによるそれを身につけなければなりません。ただし、これを成功させるにも、科学技術のリスクが生じる要因をきちんとつかまなければなりません。ところが、科学技術のリスクは、時間的に遅れてきたり,その要因が五感に直接訴えないものが多く、一定の学習をしない限り忌避感覚が極めて働きにくいのです。原子力技術もその代表的なものの一つです。

情報過多を克服する学習

 しかし、我国の学校での学習は、各教科の背景にある学問分野を手段として使う目的に沿った内容になっていて、個々の科学技術が私たちの生活全体の中でどんな位置づけになるかをつかむ目的に対しては適しません。それなら、手軽にインターネット等で調べれば、それで事足りると思うかも知れません。確かに、調べたことそのものについては、知ることができるでしょう。しかし、それ以上でもそれ以下でもありません。
 今日、情報は過多と言えるほど氾濫していますが、情報の全体の中での位置づけが分からなければ、肝心の将来の命に関わるような事の重大さが、情報から読み取れません。この状態は、ルールを知り一定の訓練をしない限り、囲碁や将棋の話を何回聴いても、いつまでもそれらが上達しないのと同じです。
 私たちの手を離れた後は、事の成り行きは、この世界のルールである法則によって全て決まります。私たちは、個々の知識よりも、そのメカニズムが分かるようになることこそが大切なのです。情報過多を克服する学習方法とは、何から何を考えれば何が分かるか、この世界を一つのものとして認識する筋道をつかむことでもあります。これが分かりますと、当然のことですが、ほんの少しの学習をするだけで,驚くほどこの世界が見えてきます。

核反応の世界と化学反応の世界の違い

 地球上で起こる物質変化の最小単位は、基本的には原子です。即ち、人間活動によって起きる部分も含めて、この地球上で様々な物質ができたり壊れたりするのは、原子から分子ができたり、逆に、分子が壊れて原子や他の分子になったりして、原子同士の組み替えが起きることによります。これは化学反応の世界です。それに対して、宇宙、特に,恒星の中で起きていることは,原子を構成している原子核ができたり壊れたりしている核反応の世界です。これは、化学反応に比べて、エネルギーにすると10の6乗倍の大きい世界の出来事です。運動エネルギーは、速さの2乗に比例しますので、速さにするとおよそ千倍ということになります。日常生活の中で、私たちが道具を使わずに出せる速さの千倍もの速さのものが飛んでくることを想像しますと、このエネルギーが、化学反応の世界にとって,いかに大きいものであるかが分かります。原子力は、核分裂反応を利用するわけですから、いかに私たちの手に負えない技術であるかが分かります。生命活動は、元来、核の安定性の上に成り立つものであることを肝に命ずべきなのです。

リスクを見る視点

 それでは、科学技術のリスクの特徴から見ていくことにします。近代科学技術は、経済性と使用時の利便性を主に追求してきました。その反面、この世界の他の階層に与える影響については、あまり考えられていません。現在の科学技術のリスクは、使用者のみに止まらず、空間的には地球規模まで広域に及び、時間的には、次の世代にまで及ぶという特徴をもっています。リスクには、各種の事故や災害,戦争による殺戮・環境破壊など、一瞬にして遭遇してしまうものと、いわゆる化学物質及び人工放射性物質による人体汚染など、じわじわと被るものがあります。
 人工放射性元素は、体内に入ると化学的性質の類似性から、元素により特定の部位に蓄積され高濃度となって放射線を出し続けます。これらの粒子線や電磁波は、エネルギーが高く、人体の構成分子から無差別に電子をたたき出します。これは、生体分子そのものの破壊を意味します。
物質の濃度と温度は、部分的にはその周囲より高くなったり低くなったりしますが、それを取り囲む全体で考えますと、必ず平均化する方へ向かいます。日常ごくありふれた拡散や熱伝導などの現象だけでなく、環境問題などの広範囲で起きる全ての現象の背後で、いつもこのことが起きています。それ故、あらゆる科学技術の生産過程、使用中、廃棄後にどのような濃度や温度の平均化が起きるかに注目し、その対策を考えることが必要なのです。よく原子力は炭酸ガスを出さないと言われますが、それは、核分裂反応を利用した原理そのものの部分についてのことです。私たちは、その原理を実現させるのに必要な技術全体にわたって、炭酸ガスの排出について考えなければならないのです。
 濃度の平均化には、化学物質と並んで、原子力発電所・核兵器から出される放射性物質のように二次的に排出される人工物質があります。しかも,濃度は単に平均化するだけでなく、食物連鎖の法則により生物濃縮され、いずれ私たちの食卓に上がります。また、温度の平均化には、原子力発電による熱汚染があります。

リサイクルでは解決しない原子力発電

 仮に私たちの使う電気の約三割が原子力発電所から来ているとします。しかし、だからといって、即私たちの使う電気が原子力に三割依存していると考えるのは余りに早計です。発電を可能にすることから後始末に至るまでに投入される主に化石燃料由来のエネルギーを、発電法毎につぶさに検討して初めてそのような比較が可能となります。従って、「原子力か化石燃料か」という議論は、形式上は成り立ちますが、不毛の議論であることがすぐに分かります。
 社団法人家庭電気文化会から各小学校に送られて来る「電気のはなし」の中の「しげん別の発電量のわり合」には、あたかも、原子力発電がウランだけに依存しているかのようなグラフが描かれています。もちろんそんなことはないわけです。原子力発電の場合、放射性廃棄物の長年の管理や大事故で生じる潜在的な核廃棄物の拡散対策を考えますと、もはや採算の取れないものであることを関係者自身が公言するようになりました(核燃料はリサイクルできる?参照)。かといって、リサイクルをすれば、その工程でおびただしい量の放射性物質の拡散が起こり、「リサイクルでは解決しない」ものの代表となってしまいます。このような原子力発電に頼らないようにするには、肝心の大量浪費生活そのものを改めることを忘れてなりません。あくまで、全ての科学技術の生産から廃棄までの全過程において、最終的にどのような濃度と温度の平均化が起きるのかをつねに見定められることが必要なのです。

以上のことから、「原子力発電は環境にやさしい」とは、とても言えないようです。

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