LNT仮説とは |
LNT仮説の妥当性の検証(発表内容の紹介) |
LNT仮説と原子力政策 |
参考資料 |
放射線影響協会主催で、上記シンポジウムが2005年3月9・10日に東京国際フォーラムで開かれました。このシンポジウムは、文部科学省が放射線影響協会に委託し、1985年度から行われている「原子力発電施設等で放射線業務に従事している人の疫学調査」の結果発表と、これを支えるために、2004年度から開始された「国際放射線疫学関係情報調査」の一環としておこなわれたものです。
LNT仮説(Liner Non-threshold Theory)とは「しきい値なし直線仮説」 です。この仮説あるいはモデルは広島・長崎の被爆者のいわゆる「生涯調査」(詳しくは広島・長崎の被爆者生涯調査を参照)から得られたもので「放射線の影響は線量に比例して減少はするが、これ以下では影響が消失するという、「しきい値」があるという証拠は見つからない」ということを示しています。すなわち、放射線はその量がいくら少なくても、それにおおじた損傷が起きるため、安全な量は存在しないということになります。放射線の中・高線量域では疫学調査や実験結果から膨大な量のデータが蓄積しており、その範囲では放射線の量と発がんには直線関係が成り立ちます。しかし、10から50ミリシーベルト以下では、わかっている領域から推定するしかありませんが、その場合どのようなモデルを使って推定するかが問題です。放射線の影響を研究している世界的に著名な学者達が、考えられる五つのモデルを検討した結果「LNT仮説が最も適切なモデルである」という論旨の論文を発表しています(1)。疫学調査結果の信頼性は、調査集団の大きさ、調査期間の長さ、放射線量の推定の正確さ等いろいろな条件に左右されます。これらの点から見ると、広島・長崎の生涯調査は後に述べるいくつかの欠点はあるものの、数多い疫学調査の中では信頼性が高いものです。さらにこのモデルを支持するような基礎的な実験データも最近発表されました(2)。このようなことからLNT仮説は、日本もそのメンバーである国際放射線防護委員会(ICRP)でも採用されています。
しかし、生涯調査をもとにしたLNT仮説は過小評価であるとの意見もあります。生涯調査が始まったのは原爆が投下されてから5年後でした。この時期までには感受性の高い人は既になくなっており、生き残った人は放射線に対する抵抗力の強い人だと考えられます。そのため結果的には、調査は抵抗力のある人たちを選んで行ったことになり、この調査結果を一般の人に当てはめると、放射線の影響を過小に評価することになるのではないかという疑問が持たれます。実際調査を行っている研究者の中にも、本当の放射線の影響はこれよりも大きい可能性があるのではないかと考えている人もいるのです。さらには、この調査には残留放射能、内部被爆や放射性降下物(フォールアウト)が考慮されていません。そのために、直接の被ばくを受けなかったけれど肉親を捜しに市内に入った人、死体の処理などのために爆心地近くで長時間作業した人たちなどの被ばくが無視されています。これら入市者の中には急性障害の症状を示した人、がん死した人がいますが(3)、生涯調査からは除外されています。
シンポジウムではLNT仮説の妥当性が三つの面から検証されました。第一に「疫学調査研究」、第二に「線量率効果の研究」(同じ線量の放射線を一度にかけた場合と時間をかけて何回かに分けてかけた場合の効果がどのように変わるかの研究)、第三に「放射線に対する適応応答の研究」でした。疫学調査では、上に述べた広島・長崎生涯調査に対抗するものとして、調査規模や調査期間等に問題のある報告が、放射線影響協会から発表されました。第二の線量率効果では、放射線を何回にも分けてかけると、線量当たりの影響は約半分以下になるという結果が発表されました。第三の適応応答では低線量の放射線をあらかじめ浴びると、一定時間後に高線量を浴びてもその傷害の程度は低くなるという適応応答と、放射線を浴びた細胞から浴びなかった細胞に、まだよく分かっていない遺伝子障害物質が伝達されるという「バイスタンダー 効果」についての発表がなされました。適応応答と免疫反応適応応答については生体の防御反応として非常に強調されました。しかし、この反応は自然放射線のある環境で生きている生物には当然なくてはならないものです。放射線から傷を受けた時にその傷を治さないと生物は生きて行けませんから、なおすための酵素を懸命に作ります。その酵素がまだ有効な間に次の放射線がかけられ傷害が起きれば、傷が治しやすくなるというのは当然といえば当然のことです。この適応応答の持続時間は数時間長くても一日で、一生涯続くものもある免疫反応とは大きく異なります。しかも適応応答で治した傷が正しく治されるという保証は全くありません。従って人間が放射線の傷を治す能力があるので、自然放射線以上の被ばくをさせても良いということにはなりません。
それは、感染症に対する行政の対応と比較すればすぐにわかることです。例えば、ポリオを考えてみます。ポリオウイルスは総ての人に病気を起こすわけではありません。大部分の人は、症状もなしに、あるいは軽い風邪をひいたような症状で治ってしまい、その後終生続く免疫を獲得します。脳炎などの重い症状にかかる人は、全体からみれば少数の抵抗力の弱い人です。だからといってポリオウイルスを環境にまき散らすなどとは誰も考えないでしょう。逆に、だれも感染しないようにするために、あらかじめワクチンをうって予防します。これはいわゆる文化国家といわれる国では何処でもおこなわれていることです。放射線の場合は、これとは正反対に、適応応答という修復機構があるのだからと宣伝し、浴びる限度線量を引き上げようとしています。これは免疫ができるのだからといって、ワクチンを接種して予防することなしに、ポリオウイルスをばらまくという発想にあたります。
放射線にしきい値がなく安全量がないという仮説は、原子力政策を進めたり、放射線や放射能を出す側にとっては非常に都合の悪いものです。シンポジウムに出席していた元原子力委員の竹内哲夫氏からの「裁判などで必要なので、科学者は早くこのしきい値線量の合意をうるべきだ」との発言や、元原子力安全委員の松原純子氏、放射線影響協会の金子正人氏からなされた「低線量の放射線障害をなおす能力のない人、あるいは低い人は全体の人口から見ると数パーセント以下にすぎない。それにもかかわらずそのような人をも対象に入れたきびしい防護基準を設けることは国や電力会社にとっては大きな経済的負担となる。従って、切り捨てても良いのではないか。」という意味の発言がその立場を象徴しています。日本国内では、このLNT仮説を覆し、何とか「これ以下では安全である」という「しきい値があるのだ」と説得しようとする企てや宣伝が、電力会社や行政によって、執拗に続けられています。原子力教育もその宣伝の重要な一環となっています。日本がそのメンバーである以上、ICRPの基準値には従わざるをえませんから、基準値を緩いものに変えてしまうのが手っ取り早い方法です。そのための国際的な働きかけを積極的におこなおうとする意図がこのシンポジウムで見えてきました。このようにあからさまな意図を持つシンポジウムに参加している放射線影響の研究者はどのような立場をとっているのでしょうか?上に述べた元原子力委員や元原子力安全委員の発言に対して研究者達から何ら反対する意見は出されずじまいでした。文部科学省は、原子力政策を進めている役所であり、同時に研究費を握っているところでもあります。研究者は研究費をカットされたら、仕事ができません。自分の研究が原発推進に利用されても当面の研究費をもらうためなら、妥協しているのでしょうか? それならば、私たち市民が声をあげて研究者や行政へ、要求を示していかなければならないと思います。
(1)D.J. Brenne - Cancer risks attributable to low doses of ionizing radiation: Assessing what we really know. "Proceedings of National Academy of Science USA”,100, 13761- 13766, 2003.
(2)Rothkamm K., Lobrich M. - Evidence for lack of DNA double-strand break repair in human cells exposed to very low X-ray dose. "Proceedings of National Academy of Science USA”, 100, 5057-5062,2003.
(3)『ヒロシマ残留放射能の四十二年』「原爆救援隊の軌跡」NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム 日本放送出版協会