学校の現場から 神奈川の高校の一例

 

1.学校に送られてくる原発教材

 学校にはさまざまな出版物が送られてくるので職員室の片隅に積まれているだけというものも多いでしょうが、その中に原子力推進関係の教材や資料や情報がけっこうあります。電力会社から送られたものや、「エネルギー環境教育情報センター」という機関から送ら れてきたもの、及び「原子力文化振興財団」というまさしく原発推進広報をおこなう団体から送られてきたものなどです。私の職場である神奈川の高校には、「エネルギー環境教育情報センター」から年4回発行の「エネルギー環境教育ジャーナル」という冊子や「エネルギー教育指導事例集」「エネルギー教育ハンドブック」などの資料が送られてきます。ちょっと前までは「エネルギー環境教育」と称していたのに、最近はあからさまに「エネルギー教育」という題名を付けるようになりました。あと、「原子力文化振興財団」の教育事業の案内もよく送られてきます。教材の内容は崎山さんの報告にある通りで、原発のデメリットや省エネについて書かず、自然エネルギーの欠点をあげつらって、巧妙に「じゃあ原発しかないよね」という結論に導くようなものです。これを多くの教職員が見ているかというと、そうでもありません。ほとんどの先生は原発などに興味を持っていないという理由と、もう一つは学校が忙しくなったという理由からです。また、「総合的な学習の時間」の中で調べ学習をさせるとします。最近はインターネットで調べさせることが多いでしょう。生徒が「原子力発電」などを検索すると、原発推進のホームページがずらりとヒットします。生徒はその中から適当なホームページを見てレポートを書くことになります。むしろこちらの方が問題ではないかと思います。

2.学校の多忙化について

 原発とは話がずれますが、学校現場の状況を理解するための参考になればと思って以下を書きました。学校現場はここ数年でとても忙しくなりました。県によって、地域によって、校長によって状況は違うでしょうから、私がカナッ側の高校で経験した範囲で書いてみます。忙しくなった原因の一つは、生徒が減少して教職員が減らされたのに、学校の仕事量(公務分掌や部活など)はそんなに減らない上に、新たな仕事がどんどん上からやってくること、もう一つは、教務の服務管理が格段と厳しくなったことです。10年ほど前、各高校に「特色をつくれ」という通知が来た頃から始まりました。それ以来「特色づくり推進計画書」「総合的な学習の時間」「学校目標」「学校へ行こう週間」「体験授業・体験部活動」「学校評議員」「人事評価」「個人情報管理システム」「シラバス」「生徒による授業評価」「学校評価システム」について企画し、実行し、さまざまな報告書を書くという仕事をさせられています。これら一つ一つのために会議を開かねばなりません。その他、教員絡みの事件が多発すれば「事故防止委員会を設置しろ」となり、目標をつくれば何度も評価のために会議をやらされます。最近は無意味な会議と書類づくりがとても多くなりました。これは、「その分生徒とふれあう時間と教材研究の時間が少なくなる」ということです。
 二つ目の原因についてです。例えば勤務時間の管理が厳しくなり、自宅研修が一切認められなくなりました。それまで勤務時間がいい加減だったことは反省すべきですが、勤務時間を厳しくするなら、休憩時間を確保することや、時間外勤務・部活活動に対する回復措置や手当をきちんとするべきです。また、県民に対する説明責任という名目で、研修をとると、詳細な報告書を書かされるようになり、これにも時間を浪費するようになりました。これらと平行して、職員会議が形骸化され、日の丸君が代が徹底されました。さらに、小・中学校では「心のノート」が配布されました。以前は職員会議で採決がおこなわれ、教職員一人一人の意思表示が可能でした。大事な問題について論議することもたびたびありました。これが「職員会議においては校長の指示伝達、所属職員からの意見の聴取、所属職員相互の意見交換等を行う」という管理規則に反するとして、職員会議における採決がなくされました。今では、学校の基本的な方針について校長に反対意見を言ったり議論したりすることはほとんどなくなりました。これは「教育論議を職員会議ですることがなくなった」ということです。卒業式・入学式における日の丸君が代については、学習指導要領で「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ国旗を掲揚するとともに国家を斉唱するように指導するものとする」となっていることを盾に、まず「日の丸の位置は舞台正面、式次第に『国歌斉唱』と入れること」から始まりました。次が根拠不明なのですが「フロア形式はダメ」となって、各学校で工夫してきた卒業式の形式がすべて認められなくなりました。東京ほどではないにしても、まさに法的根拠なしの強権発動です。以上のような流れから、今の学校現場の雰囲気を想像することができるでしょうか?教職員は不毛な仕事をやらされているのにうんざりしていたり、積極的に校長のいうことに従ったりして、「論議しても無駄」という雰囲気が蔓延しています。

3.考えられること

 上のような学校の状況の中で、平和・人権・環境・民主主義などの授業に取り組むことが困難になりつつあります。実際に「授業ではシラバスに書いたこと以外やるな」という校長が出てきています。授業の中で平和教材などを扱うと、「それは学習指導要領の中でどこに位置づけられるか」と問われそうです。原発についても同じです。日の丸君が代については言わずもがなです。日本では昔から「社会問題を考えない生徒を育てる」教育がおこなわれてきましたが、最近はますますその傾向がはっきりしてきています。学校教育法第四十二条の三、「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」はどこにいってしまったのでしょうか。原発推進・批判を問わず、教科書に書いていない内容を扱いにくい状況になっているわけですが、そこに大量の原発推進教材が送りつけられてきます。教材研究をする時間を奪われている教職員に向けて「使うならこういう教材を使いなさい、これなら文句を言われないよ」というささやく声がきこえてきそうです。多くの教職員がそれを利用するとは考えられませんが、一定の影響はありそうです。ただし、「総合的な学習の時間」の中で平和・人権・環境・民主主義などのテーマを設定することは可能です。また、最近は「学校設定科目」を設置することがかなり自由にできるようになりました。私は環境問題をテーマにした授業を担当しています。教科の授業で取り組む努力はもちろん必要ですが、それ以外にこういう可能性があることに希望を見ることができます。

高木学校 Bコース 第6回講座報告集 『原子力と環境教育を考える』より

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